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連載小説
[TOP][目次]
ベロベロカーニバル【消】【下】
「うん、上出来だわ! とっても美味しそう!」
 ブーピッグのように丸々と肥え太ったエプロン姿のブースターが、赤々と燃え盛る暖炉のオーブンの中から取り出したのは、彼女の顔の倍ほどの大きさもあるアップルパイだった。手際よく型から外してケーキクーラーの上に乗せたら、後は常温に冷めるまで待つだけ。宴を彩る最後の料理を作り終えた彼女の口から小さな溜め息が漏れる。
「さぁ、大急ぎで片付けちゃいましょう。……まったく、あの子ったら。早く来て手伝うって約束しておきながら大遅刻じゃないの。お陰様で一休みする暇もなかったわ!」
 ぶすっとした顔で玄関を一瞥して、散らかり放題のキッチンへと巨体を揺らしながら消えていくブースター。早朝から忙しく働き続けて既に夕焼け小焼け。その恨みは察するに余りあった。
 あれから一週間後、満月の夕べ――。宴会料理の準備に追われるブースターの姿は見てのとおり、二階の寝室で昼寝をするサンダースの姿も、豪勢な料理で埋め尽くされた食堂の長机に横一列で並んで食前の酒を酌み交わすグレイシア、シャワーズ、ニンフィア、そしてリーフィアの姿もしかり。森の奥深くにひっそりと佇む丸太小屋の内側に広がっていたのは、マフォクシーの猟夫が予見したのと寸分も違わぬ光景だった。
 美酒に酔いながら延々と語らい続ける食堂の四匹。脚付きグラスの赤紫色の液体を喉に通したリーフィアが思い出したように口を開く。
「……ときに兄弟。商売の調子はどうだ? 上手くやっているか?」
 ニンフィア、シャワーズを挟んだ向こう側に腰掛けていたグレイシアは笑い声を上げる。
「最高だよ、兄貴。こんなボロい商売ったらありゃしねぇ! 街に逃れてきた野生の奴らに住む場所を恵んでやろうって話になったもんだから、空前の建設ラッシュでなぁ。飛ぶように売れていくぜ。どうやって採ってこようが木材にしちまえば一緒なんだ。口に入る物でもねぇから産地を気にする奴もいねぇ。チョロいもんよ!」
 抱き寄せたシャワーズの耳のヒレを撫でながらグラス片手に豪語するグレイシア。そんな彼の言葉に一抹の不安を覚えたリーフィアは声を低くする。
「……その件だが兄弟。俺たちのことを嗅ぎ回っている奴がいると聞いた。本当なのか?」
「あぁ、例のブン屋か」
 問い詰めるような口調で尋ねるリーフィア。グレイシアは涼しげな顔でグラスの中身を呷る。
「そいつなら片付けたぜ。あれこれ詮索してきて鬱陶しかったから氷漬けにしてやったのさ。すぐ粉砕して便所に流しちまったから足の付きようもねぇ。今頃は下水道でベトベターどもと仲良く……」
 ペチリ!
「って、痛ぇ!?」
 空いている方の前足を頬にあてがうグレイシア。シャワーズがビンタを見舞ったのだった。
「もぅ、ダーリンったら汚いでしょ! ……はぁい! 粗相、粗相っと!」
 既に酔っ払っているらしい。緑色のボトルを携えて待ち構えていたシャワーズは、差し出されたグラスに意気揚々と赤紫色の液体を注ぎ始める。
「ははっ、すまねぇ。食事前にする話じゃなかったな……って、馬鹿! 入れすぎだ!」
 なみなみと注いで怒られるも右から左だった。彼女は意地悪な顔をしてみせる。
「えぇーっ!? なにそれ、これっぽっちも飲めないの!? ダーリンったら弱いのねぇ!」
 前足を口元に当てながら嘲笑するシャワーズ。たちまちグレイシアは顔を赤くする。
「よっ、弱かなんかねぇ! これくらい飲み干してやらぁ!」
 それが最高級のヴィンテージであることなど気にも留めなかった。一口、二口、そして三口。一気に喉奥に流し込み、空のグラスを勢いよくテーブルに置けば拍手喝采が巻き起こる。
「……とまぁ、そういうワケだから心配は要らねぇ。にしても本当、災害サマサマだぜ。臭ぇ奴らに街を汚されるのが癪でならねぇが、これも立派なビジネスチャンスだ。稼げるだけ稼いでやるぜ」
 歪んだ商魂と共に差別意識を剥き出しにするグレイシア。悲しきかな。そんな感情を抱く街の住民も少なくないのが現実だった。
「そう言う兄貴の方はどうなんだ? さっき言ったとおりの状況なんだから、じゃんじゃん切り倒して、どんどん運んできてくれなきゃ困るぜ? まさか森の連中に邪魔されていたりしないだろうな?」
 疑いの眼差しを向けるグレイシア。赤ら顔を横目で見やったリーフィアは、澄ました表情でグラスを傾ける。
「その連中なら奴に一掃された後だ。知らなかったのか?」
「奴……? おっ、おい兄貴。奴ってまさか……!」
 身を乗り出すグレイシア。グラスの中身をもう一口含んだリーフィアは大きく頷く。
「そう、例の賞金首だ。この森に潜伏しているのさ。何度か現場を目にする機会があったが……実に素晴らしい暴れっぷりだったよ。もう俺達の邪魔になるような奴らは生き残っていないだろうな」
「へっ、へへへっ! マジかよ、あのオーダイルか……!」
 笑いが止まらなかった。天井を見上げたグレイシアは手配書の似顔絵を思い出す。
「そのとおり。お陰様で随分と仕事が捗るようになったよ。これから段階的に増産する予定だから覚悟しておいてくれ」
 その言葉に敏感に反応したのはニンフィアとシャワーズだった。グラス片手に肩を寄せ合った二匹は内緒話を始める。
「……今の聞いた? 増産ですって。また儲かっちゃうみたいよ、私たち!」
「聞いたけど……それはそれで困るわね。これ以上も贅沢したら太っちゃうわ!」
 嬉しい悲鳴を上げるシャワーズ。そんな彼女をニンフィアは鼻で笑い飛ばす。
「安心なさい、もう手遅れだから。こんな立派な三段腹した子が言っていい台詞じゃないわ」
 リボン状の触角を相手の胴体に巻き付けるニンフィア。体毛のない体だけあって贅沢の成果は隠しようがなかった。たちまちシャワーズは顔を赤くする。
「そっ……そう言う姉さんだって。ダイエットするって言っておきながら何も変わっていないじゃないの。手遅れなのはそっちの方でしょう?」
 図星だった。ニンフィアは両前足を頬に当てる。
「あらやだ、バレちゃった!? そりゃあ、気を付けてはいるんだけど……ねぇ?」
「ホントそれ! はぁ……どうしましょうかしらねぇ、このお腹。これじゃ母さんと良い勝負だわ……」
 ブクブクに肥え太った醜い体を目の前に出るのは溜め息ばかり。酒池肉林の日々こそ諸悪の根源だったが、華美な生活の虜となった二匹の頭に、それを自制できるだけの理性は残されていなかった。
 その後も注いでは飲みを繰り返す四匹。とうとう手酌を始めたグレイシアが不満そうな声を上げる。
「……にしてもよぉ。いつになったら来やがるんだ、あの二匹。もう日が暮れちまうぞ?」
 西向きの窓に目を向ければオレンジ色の夕日が射し込んでいた。四匹の視線が玄関に集中する。
「まったくだ。あのルアルとかいうブラッキー、相当な世間知らずと見えるな。こんな大切な日に大遅刻とは良い度胸だ」
 爪先で板張りの床を小刻みに叩くリーフィア。滅多なことでは腹を立てない彼も流石に苛立ちを隠せなかった。
「サーニャもサーニャよ。相変わらず何もかもトロいんだから。遅いのは結婚だけにしておいて欲しいものだわ!」
「……ぷぷっ! ちょっと、姉さん! それは言いすぎよ!」
 フェアリータイプらしからぬ毒舌に吹き出し笑いを禁じ得ないシャワーズ。食堂は四匹の笑い声に包まれる。
 俺も後に続いてやろう。妙な対抗意識を燃やしたグレイシアが口を開く。
「なぁおい、例の賞金首だけどよぉ。別に俺達の味方ってワケでもねぇんだろ? へへっ、ひょっとして二匹まとめて食い殺されてんじゃねぇのか!? ばったり道中で出会っちまって……グワァァァァーッ!」
 牙を剥き出しにし、両前足を大きく広げてシャワーズに迫るグレイシア。まさに絶対零度だった。場の雰囲気が一瞬にして凍りつく。
「という具合になぁ! ギャハハハッ! ……って、あれ? どうしたよ、お前ら? ここ笑うとこだぜ?」
 反応の鈍さに狼狽するグレイシア。三匹が浮かべていた表情は言うまでもなかった。
「こらこら、縁起でもないこと言わないの! ……はい、お待ちどおさま!」
 絶妙なタイミングで氷を溶かしたのはブースターだった。食卓の上に置かれたアップルパイを目の当たりにした四匹は異口同音に歓声を上げる。
「うおぉっ!? すっ、凄ぇ……! これ……お義母さんが一匹で作ったのか!?」
「当たり前でしょう!? 母さんが作るアップルパイは世界一なんだから!」
 アップルパイを指差しながら興奮気味に尋ねるグレイシア。ブースターに代わって答えたシャワーズは誇らしげに胸を張る。
「もぅ、この子ったら……。買いかぶりすぎよ」
 娘の言葉に赤い顔を一層に赤くするブースター。全ての料理が食卓に出揃ったことを確認した彼女は、少し言いにくそうに口を開く。
「ルアル君とサーニャがまだだけど……いつまで待っていても仕方ないものね。そういうことだから先に始めちゃいましょう! ……あなたたち、父さんを起こしてきてちょうだい!」
 ニンフィアとシャワーズは一様に口を尖らせる。
「えぇーっ!? 母さんが起こしてきてよ! 私たちが起こしに行ったら決まって不機嫌そうにするじゃないの、あのチクチク親父!」
 チクチク親父とはサンダースのことだった。ニンフィアの言葉にシャワーズは何度も頷いてみせる。
「仕方ないわねぇ。分かったわよ、私が行ってくるわ」
 溜め息を吐くブースター。彼女が嫌々ながら二階に向かおうとした次の瞬間――
 コンコンッ。
 玄関のドアをノックする音がフロア中に響き渡る。ブースターの体がピクリと動く。
「……来た、来た! 心配させるだけさせておいて! ガツンと言ってやるんだから!」
 駆け足で玄関に向かうブースター。扉の前に立ってノブを回し――勢い良く押し開けると同時に不満をぶちまける。
「もぉ、遅いじゃないの! いったい今まで何をして……って、えっ?」
 言葉の途中で硬直してしまうブースター。想像していた相手と共通点があるとすれば、桃色の体をしているということ一つだけ。玄関の前に立っていたのは――見るからに不潔な体をしたベロベルトだった。
「やぁ、こんばんは!」
 顔いっぱいに笑みを浮かべて片手を上げてみせるベロベルト。まるで長年の友達のように気さくな挨拶だった。
「どっ、どちら様……ですか?」
 見上げるほどの巨体を前に身を縮めるばかりだった。今にも消え入りそうな声で尋ねるブースター。一歩前進してきたベロベルトの影が彼女の全身を覆い尽くす。
「うっ……!」
 前足で鼻を覆うブースター。汗まみれ、おまけに垢まみれ。彼女は今すぐ扉を閉めたい衝動をグッと堪える。
「もーっ、嫌だなぁ! ベロベルトだよ! 見りゃ分かるでしょ!?」
「えっと、あの……そうじゃなくて……」
 大笑いするベロベルトの前でオロオロするばかりのブースター。彼女の中に一つの疑問が生じる。
「だっ、誰が招待したのかしら? こんなの聞いていないわよ?」
 とても信じられなかったが、ごく限られた者しか知らない筈の秘密の場所だけに、そう考える他なかった。食卓に不審の目を向けるブースター。そんな彼女の視線から逃れるかの如く、それまで呆気に取られた様子で玄関を見つめていた四匹は一斉に顔を見合わせる。
「……兄弟。正直に言え。今なら許してやらんでもないぞ?」
「おいおい。冗談きついぜ、兄貴。あんな汚ねぇ浮浪者なんか誰が呼ぶかよ」
 疑いの目を向けてきたリーフィアに食い気味に返すグレイシア。鼻で笑った彼は軽蔑に満ちた視線をベロベルトに突き刺す。
「……誰、アイツ? もしかして姉さんの知り合い?」
「知るワケないでしょ、あんな奴。ていうか……アンタ、それどういう意味? あんなキモいデブと私が知り合いとかケンカ売ってんの? ……あぁ!? 何とか答えなさいよ!」
「ち……ちがっ……! 姉さん、そういうつもりで言ったんじゃ……!」
 耳打ちしてきたシャワーズの首を般若の形相で締めにかかるニンフィア。触角を首に巻き付けられた彼女の顔がみるみるうちに青ざめていく。
 もういい、追い返してしまおう。誰が招待していようがいまいが、こんなどこのギャロップの骨とも分からない者を家に上げる訳にはいかないのである。延々と論争を続けるばかりの四匹に業を煮やしたブースターは、険しい表情で前を向く。
「まぁ、こんなところで立ち話もなんだから入るよ! ……お邪魔しまぁす!」
 ブニュッ!
「……ぶふっ!?」
 なんとも間の悪いタイミングだった。避ける間もなくベロベルトの太鼓腹に顔面を埋めてしまうブースター。そのまま仰向けに押し倒され、危うく大きな足で踏み潰される寸前で股の間をくぐり抜ける。
 玄関を突破した食いしん坊の怪獣が一直線に向かった先は言うまでもなかった。四匹の間に戦慄が走る。
「……げっ、こっち来やがった! おっ、おい! 誰か止めに行けっての!」
「ちょっとぉ! アンタたちどうにかしなさいよ!」
 うかつに近寄ると唾液でベトベトにされてしまう――。相手が相手だけに誰もが及び腰だった。損な役回りを周囲に押し付けようとするグレイシアとニンフィア。闖入者を顎でしゃくったリーフィアがグレイシアに目配せする。
「兄弟、あの馬鹿を叩き出せ! 今すぐだ!」
「そっ、そうよ! ダーリンの格好良いトコ見せてちょうだい!」
 明らかな作り笑いを浮かべてグレイシアに擦り寄るシャワーズ。両前足でバツ印を作ったグレイシアはブルブルと首を左右に振るう。
「いっ、嫌だっつうの! 触れたくもねぇよ、あんなバイ菌! 変なビョーキでも持っていたら取り返し付かねぇだろうが!」
 反対するついでにボロクソに貶すグレイシア。自分たちが社会の病原菌であることなど完全に棚に上げた発言だった。
「うわぁ! 美味しそう!」
 そうこうしている内に接近を許してしまう四匹。御馳走で埋め尽くされたテーブルの前に立ったベロベルトは目を輝かせる。
「ひぃ、ふぅ、みぃ……あぁ、ダメダメ! 多すぎて数えてられないよ! うーん、どの順番で食べようかなぁ?」
 ゴミを見る眼差しを向ける四匹の存在など気にも留めない様子だった。腕組みをした彼は史上最大の難問に脳味噌を絞り始める。
「……はぁ? 何なのコイツ? アタシらのこと舐めてんの?」
 こめかみに血管を浮き上がらせるニンフィア。怒りのボルテージが頂点に達した彼女はドンと机を殴って立ち上がる。
「食べて良いワケないでしょうが、このクソデブ! ……だいたい何よ!? 誰の断りもなく勝手に上がり込んできてからに! アンタ自分が何してるか分かってんの!?」
「ばっ、馬鹿! 下手に刺激するんじゃない! ここで暴れられたらどうする!?」
 ベロベルトを指差しながら舌鋒鋭く糾弾するニンフィア。冷静を求めるリーフィアの声も女性陣には届かなかった。続いてシャワーズが立ち上がる。
「そうよ、そうよ! ここはアンタみたいな恥知らずが気安く足を踏み入れていいような場所じゃないの! 痛い目に遭わされたくなかったら、さっさと出て行きなさい!」
 威勢よく啖呵を切るシャワーズ。するとベロベルトは無茶苦茶に頭を掻きむしり始める。
 少しは効いたらしい。溜飲を下げた二匹だったが――
「あーっ、面倒臭い! どうせ胃袋に収めちゃったら一緒なんだ! 順番なんてどうでもいいや!」
 その期待は一瞬で粉砕される。彼の眼中にあったのは食卓の御馳走のみ。そもそも耳に入ってすらいなかったのだった。
 さぁ、お腹いっぱい食べるぞ! 一週間前から保存食の木の実だけ食べて過ごしてきた甲斐あって食欲全開だった。口の端から垂れていた涎を腕で拭い去り、行儀よく両手を合わせ、そして――
「いっただっきまぁぁす!」
 食前の挨拶を述べ終えると同時にベロを伸ばす。ギュッと鷲掴み、グルグル巻き、ベロンと一舐め。料理に合わせて器用に使い分けながら、目にも留まらぬ速さで貪り食い始める。
 うねり狂う巨大なベロ、飛び散る大量の唾液。下品の限りを極めた謝肉祭の幕開けだった。
「きゃぁぁぁぁぁっ!」
「ひぃぃぃぃぃぃっ!?」
 さっきまでの威勢はどこへやら。あまりの気持ち悪さに悲鳴を上げる女性陣、
「うわぁぁぁぁぁぁっ! やめろぉぉぉぉっ!」
「こっ、こいつを取り押さえろ! 誰か早く!」
 そして相変わらず口だけの男性陣。もはや食いしん坊の怪獣の進撃を止めるものなし。その間にもベロベルトは机の上の御馳走を次々にベロで絡め取っては口の中に放り込んでいく。
「んんーっ! おいしぃぃぃぃぃぃっ!」
 どんな物も溶かす成分がたっぷりと含まれた唾液のお陰で、歯のない口でも食事は十二分に楽しむことができた。口いっぱいに頬張った御馳走をクチャクチャと咀嚼しながら恍惚の表情を浮かべるベロベルト。ネバネバの唾液と満遍なく混ざり合ってドロドロに溶けたところをゴクンと呑み下せば、舌の上いっぱいに幸せな味が広がるのだった。
 ものの数十秒で粗方の料理を平らげてしまい、後は付け合わせが残るのみとなった大皿を綺麗にするだけ。千切り野菜の一切れはおろか、ソースの一滴に至るまで舐め尽くした彼は、大食いぶりを見せつけるかの如く、唾液でベトベトになった大皿をテーブルの上に山のように積み重ねていく。
「あっ……あぁ……!」
 衝撃で腰を痛めてしまい、必死に床を這いずって止めに向かうも時すでに遅し。両目いっぱいに涙を溜めたブースターは、届かないと知りつつもベロベルトの背中に前足を伸ばす。
 かれこれ一ヶ月かけて最高の食材を取り揃え、腕によりを掛けて真心込めて作り上げた御馳走が一瞬で水の泡。さながら脳天に金ダライを落とされたようなショックを受けたブースターは――
「わっ……私の……お料……理……」
 白目を剥いて膝から崩れ落ち、シャワーズのように泡を吐いて気絶してしまうのだった。
「……げぇっぷ! 最高の前菜をありがとう! ごちそうさまでした!」
 最後の一皿を舐り終え、カシャリと山の頂に置いたベロベルトは満足そうにゲップを漏らす。残ったのはデザートのアップルパイが載せられた一皿だけだった。
 さぁ、お次はメインディッシュだ! 少し食べて余計に腹を空かせてしまった彼は、大好物の肉料理に両手を伸ばす。テーブルに身を乗り出した彼が迷うことなく選んだのは――でっぷりと太ったシャワーズ、そしてニンフィアの二匹だった。
「はっ……?」
「へっ……?」
 訳も分からぬまま首根っこを掴まれ、満面の笑みを浮かべるベロベルトの目の前まで持ち上げられる二匹。舌なめずりをしたかと思った次の瞬間――
「ベロベロベロベロォォォォォン!」
 食べカスだらけの巨大な舌で全身を舐め回される。
「んんんんんんっ!?」
「むむむむむむぅ!?」
 長いベロで口の中まで蹂躙され、くぐもった叫び声を上げる二匹。唾液に含まれる麻痺成分の濃度は進化前の比ではなかった。バケツ数杯分もの涎を塗りたくられた二匹は、たちまち雷に打たれたような感覚に襲われる。
 臭い、汚い、そして気持ち悪い。あまりにショッキングすぎる攻撃だったことも相まって、背骨が砕ける寸前まで上体を仰け反らせて全身を痙攣させた二匹は、呆気なく目を回してしまうのだった。
 うーん、どっちの子も美味しそうだ! 若い雌だけあって肉質の柔らかさは折り紙付きだった。味見を終えた彼は期待に胸を膨らませる。まずは一匹目。ニンフィアをポイッと真上に放り投げたベロベルトは――
 バクンッ!
 マルノームにも負けず劣らずの大口でシャワーズの頭にしゃぶりつき、
 ズルルッ! ズルズルズズズッ! ヂュルルンッ!
 さながら麺料理を楽しむように尾鰭の先端まで啜り取り、天井を仰いで丸呑みにしてしまうのだった。体毛のないツルツルの体は喉越し抜群。ヌルリと食道を滑り降りて胃袋に落っことされたシャワーズは、早くも消化され尽くして雑炊と化していた御馳走とグチャグチャに混ぜ合わされる。
 食べ終える頃には二匹目の獲物が目の前に迫っていた。ニュッと伸ばした長いベロで簀巻きにした彼は、粘っこい唾液で溢れ返る大口の中へニンフィアを落下の勢いそのままに引きずり込む。口を閉じてクチャクチャと咀嚼すること数回あまり。全身の隅々まで唾液が染み渡ったのを感じ取ったところで――
 ゴックンチョ!
 先客のシャワーズを上から押し潰す形で胃袋に放り込み、仲良く雑炊の底に沈めてしまうのだった。
「お……おっ、おわぁぁぁぁぁっ!?」
「ひっ……ひぎゃぁぁぁぁぁっ!?」
 いきなり目の前で最愛の妻が捕食される――。これ以上の衝撃と恐怖はなかった。椅子ごと後ろにひっくり返ったリーフィアとグレイシアは心の底から絶叫する。
 派手な物音と叫び声で不本意にも存在を猛アピールしてしまった二匹だったが、ふくよかな肉付きの雌に比べて肉質の硬い雄は後回しだった。くるりと回れ右をして二匹に背を向けたベロベルトは、残る雌の一匹、床に倒れたままピクリとも動かないブースターに注目し、
「んべぇっ!」
 短い掛け声と共に伸ばしたベロで摘まんで宙高く放り投げ、
 バクンッ!
 あんぐりと開けた大きな口でキャッチする。
「……はふっ! アチッ、アチチッ!」
 気絶しているとはいえ流石は炎タイプ。熱い食べ物にはめっぽう強い彼も火傷するほどの温度だった。吐き出さずに耐えるのがやっとのベロベルト。このままでは呑み込むことはおろか、咀嚼して唾液に塗れさせることすら難しかった。
 水だ、水で冷まさなくちゃ。確か花瓶の近くに――。そう思った瞬間には手が伸びていた。恐らくは目の前で腰を抜かしているグレイシアが準備したのだろう。彼は氷水で満たされたガラス製のウォーターピッチャーを食卓からひったくる。
 濃い味付けの料理で渇いてしまった喉を潤すためにも、飲み干さずにはいられなかった。高々と持ち上げて逆さにして最後の一滴まで口の中に注ぎ込んだら万事解決。瞬く間にぬるま湯と化して食べ頃の温度になる。
 喉元過ぎればなんとやら。今の内に食べてしまわない手はなかった。ぬるま湯を飲み干して渇きを癒した彼は、ベロの上でブースターを転がし始める。喉奥の袋をギュッと絞り、どっぷりと口内に唾液を溢れさせれば、毛深くて呑み込みにくい獲物もイチコロだった。程なくして彼はブースターをネバネバのベトベトにしてしまう。
 加齢で緩んだ締まりのないブヨブヨの身体が残念でならなかったが、先程の二匹とは比較にならないほどの肥満体だけあって抜群のボリュームだった。喉を鳴らして呑み込んで、ドプンッと胃袋に収めた彼は、今日一番の満足感にゾクゾクと背筋を震わせる。
 とはいえ、まだまだ腹六分目。ほんの数日前まで一匹も食べれば大満腹だった獲物も今ではフィンガーフード感覚だった。立派に進化を遂げた自身の胃袋に感謝しつつ、空になったウォーターピッチャーをドンと机の上に置いた彼は、今日で何度目になるか分からない舌なめずりをしてリーフィアとグレイシアに向かい合う。
 さぁ、何はともあれ自己紹介から始めよう! ニッコリと二匹に微笑みかけた彼は朗らかな口調で話し始める。
「やぁ、お待たせ! ほったらかしにしてごめんよ! オイラはベロベルト! この森に住んでいるのさ! このところ食べるものが足りなくて困っていてね! たくさんの御馳走を作って宴会を開くって聞いたものだから、食べに来たのさ! ……君達もろともね!」
 ベロベルトは不敵な笑みを浮かべてみせる。
「ひ……ひぃ……!」
 後ずさりしながら声にならない悲鳴を漏らすグレイシア。前菜――その言葉の意味を遂に理解した彼は、氷タイプながら体の震えが止まらなくなってしまう。
 これがベロリンガの時なら目の色を変えて襲い掛かってきたことだろう! やっぱり進化の力は偉大だ! 今にも失禁しそうな表情で恐れ戦く二匹を目の前にした彼は、優越感に浸らずにはいられない。
「……もぉ! そんなに怖がらなくても大丈夫だってば! しっかり舐め回して痺れさせてから食べるから痛くも苦しくもないよ! むしろ気持ち良いくらいかも! だからリラックスしてオイラ自慢の舌技を堪能してほしいなぁ! あっ、臭いのは我慢してね! あははっ!」
 そう付け加えたベロベルトは大笑いする。
 絶体絶命の状況だった。戦うべきか逃げるべきか、究極の選択を迫られるリーフィアとグレイシア。その次の瞬間――奥の階段から雷鳴のような怒号が轟いてくる。
「さっきから何の騒ぎだ、騒々しい! うるさくて昼寝もできやせん!」
 踊り場を曲がって三匹の前に姿を現したのは、家の主のサンダースだった。途端に見ず知らずの存在と鉢合わせることになった彼は、目を点にしてポカンと口を開ける。それが最も避けるべき行為であるとも知らずに。
「あっ、こんばんは! お邪魔してまぁす!」
 順番変更だ! 先に食べちゃおう! 大きく手を振って挨拶したベロベルトは、リーフィアとグレイシアの顔を交互に見やる。
「そうそう! 一つ言い忘れていたよ! もしオイラから逃げようとしたら……!」
 普段より低い声で言ったベロベルトが取り始めたのは例のポーズだった。両手を挙げて前屈みになり、前方の一点を見据えて口を半開きにし、少し顎を引いてタメを作り――
「ベロォォォォォン!」
 間の抜けた掛け声と共にベロを伸ばす。狙うはサンダースの口の奥。発射されたベロは矢のような勢いで二匹の間を突っ切り、そのまま真っ直ぐに飛んでいって――
 ジュブブブブッ!
 ものの見事にサンダースの口の中にねじ込まれる。
「がっ……ごがぁっ……!?」
 こうなったら逃れる術はなかった。グチュグチュと螺旋を描く舌先で口内を舐め尽くされたかと思う間もなく喉奥を犯される。噛みちぎろうと鋭い牙を突き立てるも、まるで効果なし。傷一つ負わせることもできないまま、あっという間に食道の奥深くまでズルリと舌を挿入されてしまうのだった。
 両頬と喉をパンパンに膨らませつつ、血走った目に大粒の涙を浮かべるサンダース。爪を剥き出しにした前足で舌に掴みかかったのが運の尽き。そこをすかさずベロで絡め取られ、グルグル巻きのミイラにされてしまう。
 唾液の麻痺成分は電気タイプにも効果抜群。たちまち彼の全身を脳天から股間まで一刀両断にされたような衝撃が駆け抜ける。邪魔な商売敵、一家の野望を阻止すべく立ちはだかった者たち――。全て黒焦げの消し炭に変えてきた彼は、反り返った全身をビクビクと痙攣させながら、その一生の最期に彼らの気持ちを思い知るのだった。
 危なげなく四匹目。今回の獲物は見せしめだった。伸ばした時と遜色ない速さでベロを引っ込め、ベトベトの唾液のプールに沈めた彼は――
 ゴックン!
 一噛みもすることなくサンダースを喉の膨らみにしてしまうのだった。両顎を開いてベロを垂らした彼は、シャワーズを除く三匹の抜け毛がへばりつくのみとなった口の中をリーフィアに披露する。一層に大きく口を開けて喉を波打たせた次の瞬間――
「ゴェェェェッップ!」
 リーフィアの顔面に、胃袋の中でドロドロに溶けゆく獲物たちの体臭と彼の口臭とが凝縮されたゲップが見舞われる。
「あぁぁぁぁっ!? くっ……臭いぃぃぃっ!?」
 草タイプに毒タイプの技は効果抜群。紫色の煙に包まれたリーフィアは床の上を転げ回り始める。嘔吐きに嘔吐きまくる相手を指差しながら爆笑すること十秒あまり。ようやく笑い止んだベロベルトは巨大な腹をモミモミと揉んでみせる。
「こんな具合に速攻で食べられちゃうから気をつけてね! オイラから逃げようなんて……」
「兄貴、しっかりしろ! 二階だ! 急げ!」
 相手が悠長に喋っている今しかなかった。どうにかして足腰を立たせたグレイシアは、隣のリーフィアに呼び掛けると同時に立ち上がり、部屋の奥の階段を目指して全速力で駆け始める。それから数秒後にはリーフィアも立ち上がり、覚束ない足取りでグレイシアの後を追い始めるのだった。
「もーっ! まだ話の途中なのに! それも言ったそばから逃げ出すなんて!」
 そっちがその気ならオイラはこうするまでだ! 階上に消えていく二匹に怒り心頭で叫んだ彼は、先程と同じポーズを取り、そして――
「逃がさないんだなぁ! ベロォォォォォン!」
 先程と同じ掛け声と共にベロを伸ばす。マフォクシーの猟夫に家全体を透視して見せてもらっていたお陰で、間取りの把握はバッチリだった。踊り場を曲がって階段を登りきったら、後は廊下を真っ直ぐに突き進むだけ。後ろを走っていたリーフィアを追い越し、グレイシアの背中に追いついた途端――舌先で力いっぱい鷲掴みにする。
 グチャッ。
「ほげぇぇぇぇぇぇっ!?」
 よりによって、掴んでしまったのは後ろ脚の付け根の部分だった。きんのたまを粉砕されたグレイシアの断末魔が家中に響き渡る。
「あれ? なんだか変な感触があったような……?」
 独特の感覚はベロベルトにも確と伝わっていた。思わず首を傾げた彼だったが、
「まぁいいや! 早いとこ食べちゃおうっと!」
 その疑問は獲物を捕まえた喜びにかき消される。両前足で股間を庇いながら悶絶するグレイシアに手当たり次第、もとい舌当たり次第にベロを巻き付けたら、あとは引き戻すだけ。それまでの道のりを見事に逆走していった彼は、ベロの持ち主の口の中に難なく引きずり込まれる。
「んんっ……! ちべたいっ!」
 暑い夏には最高の獲物だった。頭がキーンとする感覚に歓声を上げたベロベルトは両手を額に持っていく。
「……あーあ、楽しみにしていただけに残念だよ。君はベロの上で溶けてなくなるまで舐め回してあげるつもりだったんだけどねぇ?」
 名残は尽きなかったが、約束破りを許す訳にはいかなかった。恨み節を吐きながら口を上向けた彼は――
 ゴクンッ!
 力強く嚥下して五匹目の獲物を胃袋にねじり込むのだった。途端に彼は猛烈な息苦しさに襲われる。
「うぅっぷ! ダメだ、もう食べられない……!」
 サンダースを食べ終えた直後から嫌な予感はしていたが、やはり限界だった。いっぱいに両頬を膨らませ、破裂寸前の風船のように膨れ上がった腹を両手で抱え込んだ彼は、大きな見込み違いをしていたことを思い知らされる。
 こんなことなら彼女も誘えばよかったな。独り占めするからバチが当たったのかもしれない。ジャローダの顔を思い浮かべた彼は、今日の話を秘密にしたことを後悔するのだった。
「うーん、美味しいものは別腹って言うけどねぇ?」
 料理の一皿ならまだしも、数十キロもある肉の塊なら話は別だった。縦にも横にも伸びきった腹部の黄色い三本線に視線を落としながら苦笑いを浮かべるベロベルト。が、それも束の間――
「……って、あぁっ! その手があった!」
 直後に閃いた彼はポンと両手を打ち鳴らす。
 次に食べる獲物は胃袋ではなく、喉奥の唾液を溜めておく袋に収めてしまえばよいのである。あれだけ長いベロを仕舞っておけるのだから、獲物の一匹くらい入っても不思議ではなかった。
「よぉし、やってみよう!」
 思い立ったら即行動だった。すりおろしたチーズが香り立つ濃厚なドレッシングソースで満たされたボウル、ラッキーの卵で作られた温泉卵をそれぞれ片手に持った彼は、リーフィアを半熟卵のシーザーサラダにするべく二階へと赴く。
「ひぃっ、ふぅっ、はぁっ……!」
 一瞬にして百五十キロ近く太ってしまったのである。たった十数段の階段も今の彼には果樹園のある裏山と変わりなかった。手すりに上体を預けつつ、床板をミシミシと軋ませながら千鳥足で登っていくベロベルト。二階の廊下に辿り着く頃には汗びっしょりだった。
「くんくん……おっ、ここかな?」
 ツンとくる青臭い匂いのお陰で丸分かりだった。鼻をヒクつかせながら廊下を渡りきった彼は、最奥の部屋の扉のノブに舌を掛ける。
 ガチャリ。
「……おっと、鍵が掛かっているよ。そういうことなら合鍵を用意しなくちゃね」
 想定内の展開だった。そのまま舌でドアノブを包み込み――
 バキィッ!
 錠前ごと破壊して部屋の中へと侵入する。
「あっ! みーつけた!」
 どうやら来客用の空間らしい。足を踏み入れた先は四台のベッドが並ぶだけの殺風景な部屋だった。その中央にリーフィアの姿を認めた彼は声を弾ませる。
「させないよーだ! ベロォォォォォン!」
 まさに間一髪のタイミング。そのリーフィアはといえば、長さ二メートル近い開閉棒を前足に、屋根裏へと続く階段が収納されてある天井の扉のフックを外している最中だった。両手に物を持ったまま例のポーズを決めた彼は、即座にベロを伸ばす。
「あぁっ!」
 ビクリと体を震わせ、すっかり青くなった顔をベロベルトに向けるリーフィア。最後の希望は呆気なくベロで絡め取られ、飴細工のようにグニャリと真っ二つに折り曲げられ――床の上に打ち捨てられてしまうのだった。
「えへへっ、残念でした! もう逃げられないよ……!」
 歪に膨らんだ巨大な腹を揺らしながらリーフィアの前に立ち塞がるベロベルト。運悪くも背を向けてしまったのは窓のない壁だった。完全に行き場を失ったリーフィアは、間もなくして部屋の隅に追い詰められる。
「……あらら、ゲロゲロ吐いちゃったんだね! お気の毒さま! ちゃんと効果があったみたいで嬉しいよ!」
 ゲップ。技として使うのは初めてだけあって喜びもひとしおだった。床に広がる吐瀉物と汚れたリーフィアの口周りから色々と察した彼は顔をほころばせる。
「この程度でこんなになっちゃうんだ。オナラなんか嗅がされた日には死んじゃうんだろうね、君。……ぷぷっ! 面白そうだから試しちゃおうっと! ちょうど大きいのが出そうなんだ!」
 垂らした舌でペチペチと尻を叩いてみせるベロベルト。舌を巻き取って口の中に仕舞った彼は、更にリーフィアを挑発する。
「そういうワケだから掛かっておいで! ぶっ放してあげるよ! 臭すぎて本当に死んじゃうかもね! あははっ!」
 完全に舐め切った態度にリーフィアは歯噛みする。
「きっ、貴様……! さては木材組合が雇った殺し屋だな!? 誰の差し金だ!?」
 失礼なことを言う子だ! ベロベルトは憤慨する。
「違うよ! 殺し屋だなんてとんでもない! オイラはただ腹ペコを満たすために君たちを食べに来たまでさ! 誰かの紹介で来たのは間違いないけどね!」
 彼はマフォクシーの猟夫の顔を思い浮かべる。
「それが誰だと聞いている! 言え!」
「もぉ、そんなに慌てなくても教えてあげるってば! オイラのウンチになった後でね! あははっ!」
 怖い顔で一喝されるも涼しい顔だった。垂らしたベロで三段巻きの蜷局を作った彼はヘラヘラした顔で返す。
「ふざけやがって……! こんな事をして許されると思っているのか!?」
 怒りに震える四肢の爪を床板に食い込ませるリーフィア。ベロベルトは自信満々に首を縦に振る。
「うん、もちろん! ここを紹介してくれた友達に教えてもらったのさ。生きるために食べる分には罪に問われないってね。なんでも野生で暮らすオイラ達に街のルールは適用されないんだって! お陰様で遠慮なく君たちを食べられるよ!」
 百点満点の回答だった。そこまで言い終えた彼は見下した目を向ける。
「そう言う君は、誰の断りもなしに木を切りまくっては売り捌いて、ボロ儲けしている一団の一匹なんでしょ? オイラ聞いたよ? それがどれだけ他の誰かを泣かせる商売かってね。かく言うオイラも君たちに泣かされた一匹さ。……よくもオイラたちの森を傷つけてくれたね? さっきの言葉、そっくりそのまま君に返すよ!」
 ここまで来る途中で現場の惨状を目の当たりにしたからには黙っていられなかった。彼は声を大にして叫ぶ。
「……ヒヒッ、フヒヒヒヒッ!」
 それなら話は早かった。リーフィアは裏の顔を露わにする。
「なっ……なぜ笑うんだい? オイラは真面目に言っているんだけど!?」
 ゾッとするほどの豹変ぶりだった。ベロベルトは両手に物を持ったまま身構える。
「知られたからには死んでもらおう! ……バラバラに切り刻んでくれるわ! 滅びよ! リーフブレードォォォォォォッ!」
 助走をつけて前宙を決めたリーフィアは、刃のように尖らせた尻尾の葉っぱをベロベルトの脳天めがけて振り降ろす。
 もう街の警察も把握済みなんだけど……まぁいいや。余計なことは言わないでおこう。マフォクシーの猟夫の話を思い出したベロベルトは、一刀両断にされるギリギリで身をひるがえし、紙一重で攻撃をかわす。史上最強の敵を倒した今となっては、止まって見えるほどの速さにすぎなかった。
 避けられた!? こんな鈍重そうな脂肪の塊ごときに……!? 気づいた頃には時すでに遅し。リーフィアは固い木の床に背中から打ち付けられる。
「ぐあっ!」
 ダメだ、早く起き上がらないと……! その一心で目を開けた彼は絶望に覆い尽くされる。それもその筈、リーフィアの顔面に腰掛けようと膝を曲げたベロベルトの巨大な臀部が降ってきていたのである。
 ベチョッ!
 避ける暇はおろか、悲鳴を上げる暇すらなかった。胸から上を汗で蒸れた尻に押し潰されるリーフィア。同時に胴体を両足で挟み込まれ、一ミリも体を動かせなくなってしまうのだった。
「どうだい、オイラのお尻の味は? 舐め回してくれてもいいんだよ? あははっ!」
 嘲笑しながら下半身を前後左右に揺すった彼は、臀部で最も窪んだ部分へとリーフィアの鼻先を導いていく。最後にストンと腰を落とされたリーフィアは――
 ブチュゥゥゥゥゥッ!
 不本意にもベロベルトの尻穴と熱い口づけを交わしてしまうのだった。
「んんっ、出るぅ……!」
 よぉく嗅いでおくが良いさ! なんたって君は今からこの臭いの一部になるんだからね! 心の中で呼び掛けながら下腹部に力を込めていくベロベルト。プルプルと巨大な尻が震えた次の瞬間――
 ブウゥゥゥゥッッ!
 今までに食べてきた獲物達の残り香が、肛門からリーフィアの鼻孔へと直に注ぎ込まれる。この手の攻撃に弱い草タイプの彼にとっては毒ガスも同然。嗅覚を破壊されると同時にグニャリと脱力した彼は、それから数秒と持たずに失神してしまうのだった。
「……おえっ、くっさ。食事中にするもんじゃなかったよ」
 大いに後悔するも、これで食欲をなくす男ではなかった。立ち上がって回れ右をした彼の口からボタリと涎が滴り落ちる。
「お肉ばかりじゃ栄養が偏るから野菜も摂らないとね。気絶している今の内に食べちゃおうっと!」
 言うが早いか持っていたボウルをひっくり返し、片手で器用に温泉卵を割り落とした彼は――
「ベロォォォォォン!」
 白一色に染まった最後の獲物を舌で絡め取って喉奥まで引きずり込み、唾液袋の中へと挿入し始める。ドレッシングと卵のお陰で滑り心地は抜群。頭から順番に難なく押し込められていき――
 チュポンッ!
 小気味よい音と共に全身が呑み込まれる。狭いのは入り口だけ。身長の十倍以上もの長さを誇るベロを仕舞っておける袋の大きさは伊達ではなかった。
「……おっ! 入った、入った! やったぁ、大成功だ! 今度から食べきれない分はここに仕舞っておこうっと!」
 見事に六匹を食べ尽くしたベロベルトは両手を高々と挙げて大喜びする。唾液袋の意外な使い道を見出した彼は、また一つ進化のありがたみを噛み締めるのだった。
 お次はお待ちかねのデザートだった。彼は食べずに残しておいたアップルパイの存在を思い出す。こってりとしたチーズソースと卵黄で塗り潰された口を直すべく、くるりと踵を返して部屋を後にしようとした次の瞬間――
 バキィッ!
 乾いた木が割れる音が足元から響いてくる。
「へっ……?」
 とっさに下を向くと大穴が開いていた。食べに食べまくって元の倍近い体重になった彼を支えきることができず、床板が抜けてしまったのだった。
「うわっ、うわわわわぁぁぁぁぁぁっ!?」
 大慌てで両手両足をバタつかせるも、数百キロもの巨体が宙に浮かべる筈がなかった。彼は瞬く間に穴の中へと吸い寄せられ、背中から真っ逆さまに落下していく。落っこちた先は団欒の場のど真ん中。渾身のヒップドロップで食堂の長机を粉砕し、その下の床板を突き破って半身をめり込ませたところで――ようやく停止する。
「ゴホッ、ゲホッ……! あっ、あいたたた……!」
 濛々と粉塵が舞い上がる中で呻き声を上げるベロベルト。臀部に激痛を感じながらも気になったのはアップルパイの安否だった。これを食べずして晩餐は締め括れないのである。彼は曇った視界の中で目を凝らす。
「あぁっ、こんなところに!? しかも無傷で!? こっ、こりゃ奇跡だ!」
 その姿を認めたのは――なんと自身の腹の上だった。衝突の弾みで投げ出されたのが偶然にも落ちてきたらしい。喜びのあまりに痛みすら忘れた彼は、即座にベロで絡め取って丸ごと口の中に放り込む。
 こんがりとキツネ色に焼き上がったサクサクのパイ生地、カラメルで煮詰められた甘酸っぱいリンゴのコンポート、そして、土台にたっぷりと敷き詰められた濃厚なカスタードクリーム。全てベロの上で一つに溶け合い、甘美な風味となって口の中いっぱいに染み渡る。ゴクンと呑み下せば夢見心地だった。
「んんーっ、最高! あぁ、美味しかった! ごちそうさまでした!」
 これぞ本当の別腹。大声で食後の挨拶を述べた彼は、満足した様子で身を起こす。たらふく食べた後は寝て過ごすに限った。床に散らばる割れた食器類やら木片を避けながら暖炉の前まで移動していった彼は、そこで仰向けに身を横たえる。
 きっと立派なウンチになりますように! 天高くそびえる桃色の山の頂をベロリと舐めて願いを込めた彼は静かに瞼を閉じる。満腹したお陰で眠気も限界だった。数秒あまりで眠りに落ちた彼は大いびきをかき始める。
 たっぷりの胃液にじっくりと漬け込んで獲物を溶解するベロリンガの胃袋が寸胴鍋なら、ギュッと収縮して高温高圧の環境を作り出し、強力な消化液で瞬時に獲物を溶かし尽くすベロベルトの胃袋は圧力鍋だった。そんな食いしん坊の山椒魚の胃袋の前では獣などミートパイと同じ。濃い胃液で骨の髄までホロホロに柔らかく煮込まれた五匹は、肉の牢獄の中で骸骨になる暇すら与えられず、直火で炙られたチーズみたくトロトロに溶かされてポタージュと化してしまう。
 幽門をくぐり抜けた先の十二指腸で胆汁と膵液をぶっ掛けられたら、後は小腸へ流し込まれるのみ。次々と腸壁の柔毛に絡め取られては養分を吸い取られ、お返しに老廃物を練り込まれながら奥へ奥へと下って行った果てに、汚泥となって大腸へと流れ着く。
 適度に水分を吸い取られて塑性状態となり、蠕動運動でコネコネと練り上げられて程よい硬さになったら一丁上がり。魔法のトンネルを潜り抜け終えた五匹は、食べられる前の姿とは似ても似つかぬ茶褐色の粘土質の塊となって結腸の奥深くに押し込められる。
 喉奥の袋に収められたリーフィアも辿る道は同じだった。唾液の溶解成分の働きで野菜スープと化した彼は、袋の中で分泌され続ける唾液に押し流される形で胃袋へと下っていって――あとは以下同文。最終的に深緑色の粘土状の物体となった彼は、直腸の近くで五匹と感動の再会を果たして大きな塊の一部となるのだった。
 かくして、食卓いっぱいの御馳走と二百キロ近い肉の塊を大便に変え終えたベロベルトだったが、その過程で搾り尽くされた養分の大半は肝臓で脂肪に変換され、そして皮膚の下に蓄えられることにより、彼を醜悪なまでの肥満体へと変貌させる。その厚さは実に数十センチあまり。とても立派なブヨブヨの外套が仕立て上げられるのだった。
 ブオォォォォッッ!
 満月が南の空に輝く頃。一仕事を成し遂げた彼の消化管から安堵の溜め息が漏れる。濃厚な汚臭が小屋全体に充満するも、消化管の持ち主は顔をしかめてボリボリと尻を掻いたのみ。直後にゴロンと寝返りを打って体を横向けたベロベルトは、何事もなかったかのように再び鼻提灯を膨らませ始め――翌朝の日の出まで爆睡し続けたのだった。
24/08/11 07:35更新 / こまいぬ
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