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連載小説
[TOP][目次]
願い
「……いやぁ、快適だった! 着けているだけで春みたいに暖かいんだもん! お陰様で大猟だよ! ありがとう、コユキちゃん!」
 気持ち良くスッキリできたらしい。チュッ、チュッと左右のミトンの甲に接吻しながら軽やかな足取りで洞窟の奥底に戻ってくるベロベルト。トイレットペーパーを元の場所に置き、ニット帽に降り積もった雪を払い落とした彼は、脱ぎ去った防寒着を箱の中に戻していく。
「……おっと、ダメダメ。これは乾かしておかないと。もう汗びっしょりだよ」
 危うくカビだらけにするところだった。ニット帽とミトンを仕舞ったところで箱を閉めた彼は、履き口からホカホカと湯気が立ち上るブーツを焚き火の近くまで持っていく。
 燃え盛る炎の前に両足を投げ出して座り、長いベロのタオルで左右の足の汗を綺麗さっぱり拭い取るベロベルト。誰が何と言おうと綺麗だった。べっとりと足の裏まで舐め尽くした彼は、クルクルと巻き取った舌を爽やかな表情で喉奥のベロ袋に収納する。
 ふと顔を上げると、沸騰したケトルの口から湯気が噴き出していた。ひっくり返ったカップをソーサーに戻した彼は、二枚目となる板チョコレートの銀紙をビリビリと剥がし取る。
「……そろそろ眠り姫を起こすとするかぁ。くちゃい匂いで気絶させちゃったんだ。良い匂いで目覚めさせてあげよう!」
 適当な大きさに割った板チョコレートをカップに放り込み、その上からトロトロと練乳を垂らしたら、あとはケトルの湯を注いで一気にスプーンでかき混ぜるだけ。でき上がった茶褐色の液体をソーサーごと持ち上げた彼は、ふんわりと泡立つ水面をキュウコンの口元に近寄せる。
 ひくひくと鼻を鳴らし始めるキュウコン。毛布に包まれた彼女の体がピクリと動く。
「んっ、ココアの匂い……」
 うっすらと目を開けた先にあったのは――いっぱいに笑みを浮かべたベロベルトの大きな顔。食べるなんて大嘘だったのだ。彼女の口元がフッと緩む。
「おはよう、コユキちゃん! はい、どうぞ! 温かいココアだよ!」
「おはようございます、ベロベルトさん。確か……舐め回されて気絶しちゃったんでしたっけ、私? その他はよく覚えていませんわ……」
 あぁ、よかった! そのまま忘れちゃって! カップを手渡した彼は胸をなでおろす。
 一口だけ啜ってソーサーの上に置くキュウコン。毛布を蹴飛ばし、眠い目を前足でこすった途端に思い出したのは――顔中を唾液塗れにされていたことだった。汚れた前足を見つめた彼女は表情を歪ませる。
「うぅ……ベトベトです。トリモチみたい……。ベロリンガのとは比べ物にならないほど粘りますわね、これ……」
 えっ、舐められたことあるの? 喉まで出かかるも、今は聞いている場合ではなかった。彼は部屋の一角に置かれた金ダライを指差す。
「大丈夫! 水で簡単に落ちるよ! あすこに置いてあるタライで洗っておいで! ……天井から漏れてくる湧き水を受け止めているんだ。もう満杯になっている頃じゃないかな? 飲めるくらい綺麗な水だから安心して使って!」
「たっ、助かりますわ! それでは遠慮なく!」
 よほど気持ち悪かったらしい。弾かれたような勢いで駆けていくキュウコン。大きく息を吸って水面に顔を突っ込んだ彼女は、ザブザブと首から上を丸洗いし始める。
「そうだ、タオル、タオルっと……。どこに仕舞ったかな……?」
 オイラのベロで拭いたら意味ないもんなぁ。キョロキョロし始めるベロベルト。独り言を聞きつけた彼女はザバッと顔を上げる。
「……ぷはっ! 荷物の中にバスタオルが入っていますわ! 出しておいてもらえます!?」
「バスタオルね! 分かった!」
 息継ぎをして再び潜水するキュウコン。行李を手繰り寄せた彼はガサゴソと中を探し始める。
「……おっ、あった! これだね!」
「……ふぅっ! それです! 投げてください!」
「はいよ! ……とりゃっ!」
 本当に簡単に落ちてしまったらしい。バスタオルを引っ張り出す方が遅いくらいだった。狙いを定めた彼は両手で高々と放り投げる。
「……どうも! ありがとうございます!」
 大ジャンプしてパクッと口でキャッチするキュウコン。頭から被ってワシャワシャと拭いて拭きまくり、長い冠毛を前足の爪で梳かしたら、あとは自然に乾燥するのを待つだけ。使い終えたバスタオルを丁寧に折り畳んでタライの脇に置いた彼女は、駆け足でベロベルトの元へと戻っていく。
「お帰り、コユキちゃん! どう、サッパリした?」
「えぇ、サッパリはしたのですが……」
 どういう訳か浮かない顔だった。前足で頬を触った彼女は不思議そうに首を傾げる。
「なんだか変ですわ。ちっとも麻痺していないんです。あんなにベロベロ舐め回されましたのに。どうしてでしょう……?」
 なるほど。そりゃ疑問だろうな。そういうことなら種明かしをしてあげよう。四杯目の紅茶を注ぎながら耳を傾けるベロベルト。カップを手にした彼は小さく咳払いをする。
「よく気づいたね。実は……ちょっとした細工をさせてもらった。……オイラの唾液は高熱に弱いんだ。こうやって普通にお茶を飲むくらいなら問題ないけど、たくさん一気に飲んだりすると、痺れさせる成分の効果が鈍っちゃうのさ」
 紅茶を啜った彼は恥ずかしそうに下を向く。
「……って、レナードさんに教えてもらったよ。卵をゆでたら、ゆで卵になっちゃうでしょ? それと似たようなことが起こるんだって! で、何をしたかと言うと……お白湯を飲みまくったんだ。君を舐め回す直前にね。ちょうど泣き崩れている最中だったから飲み放題だったよ!」
 そう言ってカップの中身を飲み干すベロベルト。グニャグニャの軟体動物と化した彼女は膝から崩れ落ちてしまう。
「さっ……最初から何もかも演技だったのですね……。酷いですわ、こんなドッキリ……。島の神様に祈りまで捧げましたのに……」
 両前足で顔を覆うキュウコン。彼はペロリと舌を出す。
「あははっ、演技に決まっているでしょ! 食べるワケないじゃないか! いきなり死にたいとか言い出すからカチンときてやったの!」
 さぁ、半年ぶり二回目のお説教だ。彼は大きく息を吸い込む。
「……これで懲りたかい、コユキちゃん? ご家族もお仲間もみんな君を守るために血を流したんだ。彼らの犠牲を無駄にしちゃいけない。もう二度と死にたいなんて思っちゃダメだよ?」
「はい……!」
 声を震わせた彼女は小さく頷くのだった。
 もう十分に怖がらせたけど念のためだ。彼は倒れたままの彼女の鼻先にグッと顔を近づける。
「それと……間違っても死にたいなんて口に出さないように! 君みたいな美味しそうな子は……引く手あまただからね!?」
 ジュルンッ!
 耳のそばで舌なめずりするベロベルト。ビクッと体を震わせた彼女は何度も首を縦に振るのだった。
「わっ、分かりました……。でも、ちょっとだけ。ちょっとだけ言い訳させてください」
 お座りの姿勢になるキュウコン。水気を帯びて重くなった冠毛を背中に流した彼女は、俯き加減に話し始める。
「なにを言っているのか分からないと思いますが……決して死にたいワケではないんです。ただ私は、その……」
「分かるよ、コユキちゃん!」
 ポンと頭に手を置かれた彼女は驚いた顔を向ける。
「みんなに……会いたいんだよね。亡くなっていった家族や仲間たちに……」
 手を置いたまま呟くベロベルト。彼女の青く透き通った瞳が涙に濡れる。
「オイラも君と一緒だ。その気持ちを……ずっと抱えて今日まで生きてきたんだ」
「えっ? それは……どっ、どういう意味ですか? ベロベルトさん?」
 彼は疑問と不安に満ちた彼女の顔を真っ直ぐに見据える。
「……みんな殺されちゃったんだ。オイラの仲間たち。生き残ったのはオイラと彼女だけ。この広い森で二匹だけになってしまったのさ」
 彼はジャローダの住処がある方向に目をやる。
「まっ、まさか……半年前に私とブルースを襲った大男に……!?」
 震える前足で口を覆うキュウコン。目を閉じた彼は縦に首を振る。
「ご名答、そのまさかだ。……アイツにとってオイラたちはゴミも同然だった。なにもかもを奪い尽くし、少しでも気に食わないことがあれば殺したのさ。そうして……みんな次々と命を落としていった。地獄の日々だったよ。ご機嫌を取り続けて何とか殺されずに済んでいたオイラでさえ、腹ペコで動けなくなる寸前の状態にまで追い詰められていたんだ……」
「そっ、それって……! 飢え死にしかけていたってことですか!?」
 ギョッとした顔をするキュウコン。洞窟の壁に背中を預けた彼は大きく息を吐く。
「……そういうことだったんだろうなぁ。あのカップルの二匹をウンチにできていなかったら、君とブルース君は当然のこと、オイラも危なかったと思うよ。十分な栄養を摂取して進化するなんて夢のまた夢だったワケだ。もちろんアイツを倒すこともね。今頃はアイツの天下だったろうさ」
「そんな……なんてこと……! ベロベルトさんまで……!」
 ショックを隠せない様子のキュウコン。頭の後ろで両手を組んだ彼は宙を見上げる。
「……ありゃ冬支度を終えて何もすることがなくなった秋の終わり頃だったっけ。オイラも君と似たようなことを思うようになった。こんな寂しい世界で頑張って生き続けなきゃいけないくらいなら死んでしまいたい、たくさんの仲間が待つ向こうの世界に行きたい、ってね」
 言葉を切った彼は苦笑する。
「……ははっ、笑っちゃうよね。食べ物のことでしか悩んだことのない能天気なオイラが、そんなことを朝から晩まで考えるようになったんだ。本当に悩みに悩んだ。その果てに……一つの答えに達したんだ」
 彼女の三角の耳がピンと立つ。
「いま彼らの元へ行ったとしても、頑張ることを投げ出した負け犬として笑いものにされるだけだ。どうせ行くんなら、なりたい自分になって夢を叶えて、与えられた生を全うしてからにしよう。そして……みんなの前で堂々と胸を張るんだ、ってね!」
 負け犬――心に重くのしかかる言葉だった。彼女はわなわなと身を震わせる。
「実を言うと……ずっと馬鹿にされ続けてきたんだ、オイラ。この森を果樹園に変えるって夢を打ち明けた瞬間からね。だから……見返してやりたい。不可能なんて存在しないことを証明したい。夢を実現するその日まで……オイラは死ねないんだ」
「夢を実現する……その日まで……」
 震える声で呟くキュウコン。満面の笑みで頷いたベロベルトは、彼女の両肩にポンと手を乗せる。
「そう! コユキちゃんにもあるでしょ!? なりたい自分と叶えたい夢! それを一生かけて追い続けなきゃ! 転んだっていい! 回り道したっていいんだ! そうして初めて……オイラたちは彼らの前に立つ資格を得られるんだから!」
 あぁ、どうして今まで気付けなかったのだろう? 彼らの願いに……? クヨクヨ悩み続けてきた自分が情けなかった。項垂れた彼女の両目からポロポロと涙が零れ落ち始める。
「えぇ、ありますとも! なりたい自分と叶えたい夢! ……なにもかも私が間違っていましたわ。諦めて投げ出したんじゃ彼らを悲しませるだけですもの。一生かけて追い続けようではありませんか! 彼らと……笑顔で再会を果たすために……!」
 やった、伝わった! 喜びのあまり胸が張り裂けそうだった。背中に両腕を回した彼は彼女の体をギュッと抱き寄せる。
「その意気だよ、コユキちゃん! お互い頑張ろう!」
「えぇ、頑張りましょう!」
 もう私は悩まない! プルプルの柔らかな巨体に全身を預けながら、彼女は固く心に誓うのだった。
 さぁ、辛気臭い話は終わりだ。明るく楽しい話をしよう。抱擁を解いた彼は五杯目の紅茶をカップに注ぎ始める。
「ちなみに……コユキちゃんの夢ってなんだい? よかったら教えてくれない?」
「えっ!? 私の夢ですか!?」
 ポッポが豆鉄砲を食ったような顔をするキュウコン。はにかんでうつむいた彼女は頬を赤くする。
「では……ベロベルトさんにだけ特別に! 私の夢は……」
「うん、なになに!?」
 紅茶を注ぎ終えた彼はカップを手に取る。
「温泉旅館の女将さんになることです!」
 これまた凄いのがきたぞ……! カップに口を付けなくて正解だった。衝撃のあまりひっくり返りそうになった彼は、ギリギリのところで持ちこたえる。
「おっ、温泉だってぇ!? 氷タイプなのに!?」
 真っ先に浮かんだ疑問だった。目を丸くした彼は素っ頓狂な声を上げる。
「えぇ、温泉です! 入るのも大好きですよ! ……島は火山島でしたからね。たくさん温泉があったんです。よく母さんに連れて行ってもらったのを覚えていますわ」
 彼女はしみじみとした口調で呟くのだった。
「……本当に大丈夫なの? 入ったら溶けちゃわない?」
 不安そうに尋ねるベロベルト。彼女は失笑してしまう。
「溶けませんわ! ベロベルトさんに食べられでもしない限り! ……冗談は置いといて、のぼせるまで入らなければ問題ありません。そうそう、この帰り道にも寄っていくつもりですの! 山の麓の町に有名な温泉があるんです!」
 声を弾ませるキュウコン。彼は行李の中を覗き込む。
「……なるほどね。どうりで入浴セットが入っているワケだよ。……そうだ、バスタオルは? 乾かしておかなくていいの?」
 タライを指差しながら尋ねるベロベルト。彼女は左右に首を振る。
「いえ、別に構いませんわ。頼めば貸し出してくれますので!」
 さては何度か行ったことあるな。いいなぁ、寒くなかったらオイラもついて行くのに……。彼は羨ましさを募らせる。
「それならいいか。……山の方に行くなら気を付けるんだよ? 冬眠に失敗したリングマが襲いかかってくるかもしれない。くれぐれも油断しないようにね?」
 声を低くするベロベルト。彼女も同様に声を低くする。
「……あっ、知っていますわ、その話。レナードさんから聞きました。穴持たず、でしたかしら?」
 親指の爪を立てた彼は深く頷く。
「そう、それそれ! まぁ……大豊作の年だったから万に一つもないだろうけどね。これで冬眠に失敗するリングマはいないよ。いるとすれば計画性の欠片もないクルクルパーだけさ!」
 顔を見合わせて爆笑する二匹。彼は更に言葉を続ける。
「それはそうとして……女将さんになりたいんだ? お世話するのが得意なの?」
 彼女は自信満々に胸を張る。
「えぇ、二度目の戦いでは負傷者の看護を任されていたくらいですからね。少なくとも苦手ではありませんわ!」
 二度目の戦い、か……。頭を垂れた彼は静かに目を閉じる。
「そのスキルを生かして……街の皆を癒やしてあげたいんです。どこか疲れた顔をしていますもの。彼らにこそ温泉のパワーが必要なんです!」
 前足を掲げて力説するキュウコン。悪いと思いながらも彼は吹き出してしまう。
「……ぷぷっ! 揃いも揃って軟弱者だねぇ! この世で最も恵まれた環境で生活しているくせに!」
 ココアを口に含んだ彼女は不愉快そうな顔をする。
「甘いですわ。その恵みを受けるために必要なこと……なにか忘れていません?」
 首を傾げるキュウコン。途端に彼は息を詰まらせる。
「うっ……! 働いてお金を稼がなきゃ生きていけないんだった……!」
 カップをソーサーに置いた彼女はフンと鼻を鳴らす。
「覚えておいてくださいね、ベロベルトさん? 街には街の苦労があることを。舐めてもらっては困りますわ!」
 どんどんと小さくなっていくベロベルト。やがて彼は深々と頭を下げる。
「ごめん、コユキちゃん。もう二度と言わないと誓うよ……」
 ポリポリと頭を掻いた彼は、申し訳なさそうに舌を垂らすのだった。
「それを朝から晩まで、ほぼ毎日、年老いるまでだもんなぁ……。考えるだけで気が遠くなるよ……」
 げんなりした顔をするベロベルト。彼女は畳み掛けるように続ける。
「だからこそ癒しが必要なのです。都会の喧騒から離れ、お湯に浸かって綺麗さっぱり心と身体の疲労を洗い落とし、美味しい料理に舌鼓を打ち、ふかふかの暖かい布団で眠ってリフレッシュする……。素敵だと思いませんか?」
 思わない理由がなかった。腕組みをした彼は深く頷く。
「うん、素敵だ! こりゃ繁盛するだろうね! オイラの勘が言っているんだから間違いないよ!」
 当てにならないものの代表格だったが、大いに気をよくしたらしい。後ろ足立ちになって万歳をした彼女は、ベロベルトの胸にダイブする。
「やった、ありがとうございます! 無理やり言わせた感が半端ないですけど気にしませんわ!」
 さらに彼女はこう続ける。
「夢を叶えた暁には、お世話になっている街の方々と、私と母の脱出を手助けしてくれた島の住民たちを招待するんです。もちろん、ベロベルトさんも! お背中は私が流しますわ! ……想像してみてください。ぬるめのお湯にじっくり浸かって垢をふやかし、たっぷりと石鹸の泡をつけたスポンジでマッサージするように洗うんです。ベロで舐め回して綺麗にするのとは比べ物にならないほどサッパリすると思いますわ!」
 からかうような笑みを浮かべるキュウコン。彼は顔を赤くする。
「いっ、言ってくれるじゃないか。みんな小馬鹿にして笑うけど……とってもサッパリするんだよ、あれ? 唾液が垢と角質をドロドロに溶かし尽くしちゃうからね。そりゃもう、剥きたてのゆで卵みたいなツルツルの肌になるんだ! というワケで……コユキちゃんも体験してみない!? 柔らかくって気持ちいいよぉ!?」
「もぉ、ベロベルトさんったら! ……遠慮しておきますわ! さっき体験したばかりですもの! お気持ちだけありがたく頂戴しておきます!」
 伸ばしたベロを左右に動かしてみせるベロベルト。両前足を突き出して顔を背けた彼女は何度も首を振る。
「あと……温泉もいいけど料理もね! 期待しているよ!」
「うふふっ、分かりました! きっとベロベルトさんの舌と胃袋を大満足させてみせますわ!」
 お腹のボリューミーな贅肉を両手で抱えて舌なめずりした彼に、彼女は顔いっぱいの笑みで応じるのだった。
 よし、この調子だ。紅茶を啜って一呼吸おいた彼は次の話題を切り出す。
「そうだ、コユキちゃん。島の住民に脱出を手助けしてもらった話……詳しく聞かせてもらえない? どんな子に助けてもらったの?」
 暗い話にはなりようがなかった。彼女は笑顔で首を縦に振る。
「はい、喜んで! ……ジャングルに逃げ込んで最初にお世話になったのは、トロピウスの群れでした。疲れ果てて動けなくなっていたところを偶然に通りかかり、満腹になるまで首のフサをご馳走してくれたんです。とっても甘くて美味しかった……! 母子揃って大泣きしながらフサにかぶりついたのを覚えていますわ!」
 聞いているだけで腹の虫が鳴りそうだった。目を輝かせた彼はゴクンと涎を飲み下す。
「うわぁ、いいなぁ! トロピウスの首のフサ! 死ぬまでに一度は食べてみたいよ!」
「それなら街へいらした折にぜひ! 最近になって市場にも並ぶようになったんです!」
 たまらず彼は身を乗り出す。
「ほんと!? やったぁ! また一つ街に行く理由が増えたよ!」
 両拳を突き上げるベロベルト。ハッと我に返った彼は大慌てで首を左右に振るう。
「って、いきなり脱線させたらダメじゃないか! ……それで、それで? その後はどうしたの?」
 ココアを啜った彼女は大きく息を吸い込む。
「お腹いっぱいになって元気を取り戻した母と私は、ラプラスに乗って大陸へと渡るべく、海を目指してジャングルの中を歩き続けました。その途中でとあるポケモンの村に行き当たり……そこで母の傷が癒えるまで匿ってもらえることになったのです」
「えっと……なんてポケモンだい?」
 彼女はペロリと舌を出してみせる。
「うふふっ! それはですね……長いベロと大きな尻尾が特徴的な山椒魚のポケモンです。当ててみてください!」
「そっ、それって……?」
 誰よりも詳しく知っている存在だった。同様に舌を出した彼は自分自身を指差す。
「ベロリンガ……だよね……?」
 おずおずと答えるベロベルト。彼女は大きく首を縦に振る。
「正解ですわ! ベロリンガたちに助けてもらったのです!」
 驚きだった。彼は思わず舌を巻く。
「へぇーっ!? こりゃ知らなかった! 南の島にも住んでいるんだ、オイラの仲間たち!?」
「はい、たくさん暮らしていますわ! ジャングルの木に生えるフルーツや他のポケモンを舌で絡め取って食べながら生活しているんです。食べ物が豊富な環境ですからね。みんな丸々と太っていますよ!」
 天を仰いだ彼は深い溜め息を吐く。
「あぁ、羨ましいなぁ! そんな環境にオイラも生まれたかった! それはさておき……他のポケモンって、君たちがまさにそれじゃないか。よく助けを求める気になれたね? まぁ、半年前と一緒で他に選択肢なんてなかったんだろうけど!」
 呆れ気味に返すベロベルト。彼女は面目なさそうに首を左右に振る。
「いいえ! 決して助けを求めたワケではありません! 実は……ジャングルの中を突き進んでいたら、いきなり村の真ん中に出てしまったのです!」
 あんぐりと口を開けた彼は目玉を飛び出させる。
「だっ、ダメじゃないか! 一番やっちゃいけないやつだよ、それ!?」
「えぇ、それをやってしまったワケです! そりゃもう一瞬で取り囲まれましたよ! あの時は死を覚悟しましたわ! でも……全くの杞憂でした。予想の斜め上を行く展開が待っていたのです」
「えっ、なになに!? 何が起こったの!?」
 興味津々の眼差しを向けるベロベルト。彼女は堪えきれずに吹き出してしまう。
「ふふっ! 母と私ですが……広場の祭壇に祀られ、平伏して拝まれ、供物を捧げられ、寄って集って舐め回される大歓迎を受けたんです!」
「どっ、どういうことなの、いったい……?」
 彼は呆気に取られてしまう。
「神様の化身と勘違いされてしまったんです、私たち! ジャングルの住民にとっては見慣れない存在ですからね。かなり未開な部族でしたから無理もなかったのでしょう。……ふふっ、皮肉な話ですわ。私たちが神様の化身だなんて。私たちは……神様が住まう山を血染めの山に変えた悪魔の権化だというのに……」
 俯いてしまうキュウコン。彼女の両肩を掴んだ彼は何度も首を左右に振るう。
「違うよ、コユキちゃん。それは結果論だ。君たちは何も間違ったことなんかしていない。悪いのは君のお父さんを殺した奴と、お父さんの計画を否定して戦いを挑んできた奴らじゃないか。もっと自分に自信を持とうよ!」
 語気を強めるベロベルト。前足で目元を拭った彼女は小さく頷くのだった。
「……それで、それで!? その後は!? 誤解は解けたの?」
 急かし立てられた彼女の顔に笑みが戻る。
「うふふっ! いつまでも解けそうになかったので、母が解いてくれました! 私にはサッパリでしたが、母は彼らの言葉を大体は理解できていたらしく……生贄を云々という話が飛び出したところで慌てて止めに入ったんです」
「いっ、生贄だってぇ!? うっ……嘘でしょ……!?」
 絶句してしまうベロベルト。彼女はケロリとした表情で頷く。
「えぇ、後で母から聞かされましたが、どうも本気だったようです。神様が喜ぶことをして村に幸運を呼び込みたかったんですって! ……ふふっ、笑っちゃいますよね! 笑っちゃいけないんですけど!」
 南の島に生まれなくて正解だったかもしれない。小刻みに震える彼の頬を一筋の脂汗が滴り落ちるのだった。
「……神様の化身でもなんでもないことを理解してもらった後は、私たちの身の上話になりました。気の毒に思ったのでしょう。誰もが涙を流し、そして……母の怪我が癒えるまで私たちを村で世話しようと全員一致で即決してくれたのです」
 紅茶を啜った彼はホッと一息つく。
「あぁ、よかった! それならゴハンにしちゃおうとは誰も言い出さなかったワケだね!」
「えぇ、幸運にも! 親切で温厚なベロリンガばかりで助かりましたわ! 毎日のように食べきれない程のフルーツで饗してくれ、母の怪我の治療にも最善を尽くしてくれました。……そうそう、こいつらの追っ手が村に踏み込んできた時なんか凄かったですよ? 騙し討ちにして一匹残らず食べちゃったんですから!」
 彼女は両前足を目の上に押し当てるポーズを取る。
「ぶぶっ!? おっ……追いかけてきたの!? そいつら!?」
 危うく紅茶を吐き出しそうになるベロベルト。空いている方の手で口を抑えた彼は目を見開く。
「えぇ、追ってきました。それも二回ほど。飽き性の私は例外なのでしょうけど……しつこく執念深い性格をしているのが私たちです。驚くに値しませんわ」
 うんざりした顔でココアを啜るキュウコン。カップをソーサーに置いた彼は短い笑いを漏らす。
「というか……食べちゃったんだ、神様の化身! ははっ、南の島の仲間たちは容赦ないなぁ!」
「うふふっ、仕方ありませんわ! 違うと教えてしまったんですもの! おまけに悪い奴らだってことも! ……お茶とフルーツで歓迎し、油断したところを舐め回して痺れさせ、最後は長いベロでグルグル巻きにして……ゴックン! みんな胃袋に収めてしまったんです!」
 上を向いて大きく喉を鳴らすキュウコン。顎に手を当てた彼は半目になる。
「……さては楽しみながら見ていたね? いけないんだ! 誰かの不幸を笑いものにするなんて!」
「あら、するに決まっているじゃありませんか! 私たちから全てを奪った奴らですよ!? 首まで呑まれたところで対面して、母さんと一緒に前足を振って見送ってやりましたもの! 蜜の味でしたわ!」
 前足をベロリと舐めた彼女は意地悪な笑みを浮かべるのだった。
「ま、そりゃそうだろうね。オイラが君でも同じことをしたと思うよ。……ははっ、それを二回もかぁ。みんな大満足しただろうなぁ!」
 半年前までなら一匹で満腹できるサイズの獲物だった。頭の後ろで手を組んだ彼は羨ましそうな顔をする。
「えぇ、そりゃもう! 村長から感謝されましたもの! 美味い肉を腹いっぱい食わせてくれてありがとう、って! 流石に複雑な気持ちになりましたわ!」
 咳払いを挟んだ彼女は再び口を開く。
「……やがて母の目の傷も完全に塞がり、一刻も早い脱出を村長に勧められた私たちは、川を遡上して村の近くまで迎えに来てくれたラプラスの背中に乗って島を後にしました。遂に大陸行きの切符を掴んだのです」
「ありゃ? そんな簡単に見つかったんだ?」
 彼は意外そうな顔をする。
「はい、見つかりました! 私たちのためにと自ら志願してくれたんです!」
 噂には聞いていたが、本当に心優しい種族なのだ。彼は改めて思い知らされる。
「それは感謝だね! いやぁ、世の中捨てたものじゃないよ!」
「えぇ、そうですとも! きっと彼も温泉旅館に招待するんです! どうやって足を運んでもらうかが問題ですが!」
 二匹は声を上げて笑うのだった。
「ベロリンガたちとはお別れだね? どうだった、コユキちゃん? 一緒に暮らしてみて?」
 彼女は顔をほころばせる。
「うふふっ! 最高に楽しかったですわ! 一緒に畑仕事をしたり、フルーツを取りに行ったり、魚ポケモンを釣りに行ったり、狩りに行ったり……とても貴重な時間を過ごさせてもらいました。でも……」
「でも……?」
 彼女は苦笑いを浮かべる。
「事ある毎に舐め回されるのには閉口しましたわ! どれだけ体中をベトベトにされたことか! あれさえなければ最高でしたのに!」
「あははっ、仕方ないよ! それがオイラたちの愛情表現なんだから! 君が好かれていたことの裏返しさ!」
 お腹を抱えて大笑いするベロベルト。彼女は渋々といった感じで首を縦に振る。
「ふふっ、分かっていますわ! ……生暖かくて、ネバネバして、ほんのりと臭い、ビリビリ痺れる刺激的な毎日でした! 別れの時は、私たちが水平線の彼方に消えるまで、いっぱいに伸ばしたベロを振って見送ってくれたんです。彼らのこと……死ぬまで忘れないでしょう」
 目頭を熱くするキュウコン。悲し涙でないことは言うまでもなかった。
「よかったね、コユキちゃん! 素敵な出会いに恵まれて! ……その後の航海は順調だったかい? ラプラスの背中の乗り心地はどうだった?」
 いつか乗せてもらうことを夢見る彼にとって大きな関心事だった。彼はじっと彼女の口元を見つめる。
「えぇ、とっても快適でした! 嵐に巻き込まれることもなく、順調は順調だったのですが……一度だけ怖い目に遭いました。ブルンゲルの群れに出くわしてしまったのです」
「ブルンゲル? 初めて聞く名前だね?」
 腕組みをした彼は首を傾げる。
「船乗りたちが恐れるクラゲのポケモンですわ。住処の近くを行く船を沈めて……乗組員の命を吸い取ってしまうのです」
 真冬の最中に聞きたくない話だった。彼は背筋を震わせる。
「……なにそれ? メチャクチャ怖いんだけど?」
「うふふっ、ノーマルタイプのベロベルトさんは心配無用です! 彼らはゴーストタイプですからね。ベロベロ舐め回すだけで簡単に倒せるハズですわ!」
「あっ……そうなんだ?」
 舐めたくないなぁ……。彼は気のない返事をする。
「で……お母さんと君とラプラスの三匹で戦ったワケだ? 強かったの、そいつら?」
 彼女は左右に首を振る。
「いえ、一匹一匹は大したことありませんでしたが……あまりに数が多く、倒しても倒してもキリがありませんでした。気付いた頃には完全に取り囲まれてしまっていたのです」
 どうやって切り抜けたのだろう? 好奇心を掻きたてられるベロベルト。前足を合わせた彼女は目を輝かせる。
「でも……奇跡が起きました! もうダメだと思った次の瞬間、水色の長い髪をした人魚のポケモンが水中から姿を現し、瞬きする間にブルンゲルたちを追い払ってしまったんです! 真珠の髪飾りが素敵な美しいポケモンでした……!」
 うっとりとした表情のキュウコン。ココアで喉を潤した彼女は更に言葉を続ける。
「そんな彼ですが……私たちのピンチを救った後も、安全な海域に出るまで付き添ってくれ、長期間の航海で疲れきっていた私たちを歌と踊りで励ましてくれたんです。最後は私の唇にそっとキスをして海の中へと消えていきました。ロマンチックな体験でしたわ……!」
「えっ? かっ、彼って……雄だったの、その子?」
 唯一にして最大の疑問だった。ベロベルトは声を引きつらせる。
「うふふっ、よく気がつきましたね! そうです、雄の人魚だったのです! てっきり私も雌だと! ……証拠を見せてもらった時は心臓が飛び出るかと思いましたわ」
 目を逸らしながら小声で呟くキュウコン。彼は耳に手を当てる。
「うん? もしもし? 最後に何か言った?」
「はっ!? いっ、いえ! 別に何も!」
 たちまち顔を真っ赤にした彼女は大慌てで首を振るのだった。
 この話題はここまでにしておきましょう……。コホンと咳払いした彼女は、街に上陸した時の記憶を呼び起こす。
「かくして……二週間にも及ぶ航海を終えて街に降り立った母と私は、行く当てもなくフラフラと歩き回っていたところをガーディのお巡りさんに呼び止められ、警察署で事情を聞かれることになりました。……緊急性が高いと判断されたのでしょう。取り調べが終わるなり保護施設に移送され、門番まで付けてもらった私たちは、ようやく逃避行に終止符を打つことができたのです。そして……」
 カップの中身を飲み干した彼女は話を締めくくりにかかる。
「そこでブルースやレナードさんと知り合い……今に至るというワケです」
「なるほど、そこで例のベトベトンの施設が出てきて全てが繋がるワケだ。にしても門番って……。ちょっと大袈裟すぎやしないかい? そこまで追いかけてはこないでしょう?」
 苦笑するも彼女は無表情のままだった。小刻みに首を左右に振った彼女は震える口を開く。
「えぇ、私も同じように笑いましたとも。その直後に門番から怖い顔で言われたんです。……貴様らを探しているという真っ白いキュウコンの一団が三日前に街を訪ねてきたばかりだ。お前の親父と敵対していた奴らが派遣した工作員だったと見て間違いない。長生きしたければ俺の許可なく外に出るな。出た時は死ぬ時だと思え……と。背筋が凍りましたわ」
 ベロベルトも同様だった。紅茶を啜った彼は危うくカップを落としそうになる。
「嘘でしょ!? みんなオイラの仲間たちのウンチになっちゃったんじゃなかったの!?」
 彼女の顔に黒い笑みが浮かぶ。
「ふふっ、それどころか! 堆肥にされて畑に撒かれてしまった後でしたわ! その話はさておき……新手を送り込んできたのでしょう。本当に執念深い奴らですわ。私たちの息の根を止めたところで何も変わらないというのに……」
 哀れみすら感じさせる表情だった。下を向いた彼女の口から真っ白い息が漏れる。
「あっ……頭おかしいよ、そいつら……。完全にイカれてる……」
 それしか言葉がなかった。陸に揚げられたコイキングのようにパクパクと口を動かした彼はうわ言のように呟く。
「父の家族である私たちが生きていることが許せないのでしょう。もはや彼らの頭にあるのは復讐の二文字だけです。戦いの犬と成り下がった愚か者どもの悲しき末路ですわ」
 犬。最大級の侮蔑が込められた言葉だった。吐き捨てるように言った彼女は嫌悪感を露わにするのだった。
「ところで……門番って誰なの? ちょっと乱暴な感じの子みたいだけど?」
「聞いて驚かないでくださいよ!? 門番は……」
 勿体ぶるキュウコン。腕組みをした彼は小さく頷く。
「ロジャーさんというボーマンダなんです!」
「ボッ……ボーマンダだってぇ!? ドラゴンポケモンじゃないか! それもメチャクチャ凶暴な!」
 大きく仰け反った彼は危うく後ろに倒れそうになる。
「うふふっ! 凶暴かどうかはさておき、とても頼もしい方ですわ! ぜひバトルしてみてください!」
 意地悪な声で勧めるキュウコン。彼は口を尖らせる。
「あーあ、冷たいなぁ、コユキちゃんは! ぜひ死んでみてください、だなんて! ……やなこった! ミディアムレアに焼かれてムシャムシャ食べられちゃうのがオチだもん! まぁ、オイラなんか食べた日には永遠にトイレから出られなくなるだろうけど!」
 思い出し笑いをした彼女は小首を傾げる。
「うーん、分かりませんわよ? お肉なら腐っていても平気でステーキにして食べちゃいますからね、ロジャーさん! 加熱すりゃ問題ないとか言って! おまけにとんでもない大食いで、体重と同じくらいの量でもペロッと平らげちゃうんです!」
 いい勝負だ。オイラも負けていられないぞ! 彼は妙な対抗意識を燃え上がらせる。
「……そうそう! トイレといえば、ロジャーさんが使った後の個室に入るのは絶対に嫌だって施設の子供たちの間で有名ですわ! 私も何べん押し付け合いに巻き込まれたことか!」
 そりゃそうさ。あれだけの筋肉を維持しようと思ったら肉を食べまくるしかないもの。ドラゴンのウンチなんか臭いに決まっているのだ。冷静に考察した彼はヒクヒクと鼻を鳴らすのだった。
「ははっ、そりゃ大変だ! 息を止めながら用を足さなくちゃ! それにしても……まさかボーマンダとはねぇ? こんな言い方で申し訳ないけど、門番にしておくには勿体なさすぎる気がするよ。コユキちゃんもそう思わなかった?」
 唇を噛み締めた彼女は小さく頷く。
「思いましたわ。耳を疑いましたもの。でも……一目見て理解しました。少し複雑な事情を抱えた方だったのです」
「と言うと?」
 彼女は後ろ足で背中を掻く仕草をする。
「二枚あるハズの翼が一枚しかなかったのです。何か鋭い刃物のようなもので切りつけられたのでしょう。お腹と片方の後ろ足にも生々しい縫い傷がありました。彼ですが……任務の最中に負った大怪我が原因で引退を余儀なくされた警察官だったのです」
「なんだって? ちょっと詳しく教えてくれる?」
 まさか――。胸騒ぎを覚えた彼は反射的に尋ねる。
「分かりました。又聞きなので詳しくは知りませんが……彼は警察の中でも特に優秀な隊員だけで構成される特殊部隊に身を置いていたらしく、普通の隊員では歯が立たない凶悪犯との戦いに明け暮れていたそうです」
「……聞くからに危険そうな仕事だね? オイラなら絶対やらない!」
 二度とごめんだった。彼はキッパリと断言する。
「私もですわ。もう戦いはこりごりです。……実際、とても危険だそうで、仲間を失ったのも一度や二度の話ではなかったそうです」
「その中で……彼も犠牲になった……」
 彼女は小さく頷く。
「はい。……恐らくはトドメを刺しきれていなかったのでしょう。とあるお尋ね者の討伐を終えて帰路につく途中、そのお尋ね者に待ち伏せを受けたのだそうです。目を疑う事態に部隊はパニックに陥ったらしく……まともに抵抗もできないまま、三十匹あまりいた隊員の殆どを殺されてしまったんですって……」
 間違いない、あのオーダイルだ! アイツの高圧水流にやられたのだ……! マフォクシーのレナードから聞いた話を思い出した彼は全てを理解する。
「その事件のせいで……お巡りさんの仕事を辞めざるを得なくなった……」
 彼は虚ろな表情で呟く。
「えぇ。体はもちろん、心にも深い傷を負ってしまったらしく……ずっと入退院を繰り返していたと聞きました。それでも何とか立ち直って、新しい仕事を探し始めた矢先に……私たちが街に流れ着いて来たのです」
「なるほど! ピッタリの仕事が見つかったってワケだ!」
 膝を叩くベロベルト。彼女は少し気恥ずかしそうにする。
「そういうことです! ……仕事の合間には、私たちの健やかな成長のためにということで、バトルの教室を開いてくださっているんです! やはりプロの指導は違いますわ! みんなメキメキとレベルアップしていっていますもの!」
 胸を張った彼女は自慢げに鼻を鳴らす。
「あぁ、よかった! ちゃんと活躍できているんだね!」
「もちろん! 大活躍ですわ! ……見た目は怖いですけど、とても面倒見のいい方なんです。たくさんの子供たちに囲まれながら楽しそうに働いていますよ! ただ……」
 彼女は俯いてしまう。
「ときどき、すごく寂しそうな顔で空を見上げることがあるんです。そこへ二度と戻れないことが無念でならないのでしょう。見る度にいたたまれない気持ちになってしまいますわ……」
 翼を失ったボーマンダ――。これ以上の悲劇はなかった。彼も同様に下を向く。
「……だろうね。想像を絶する悲しみだと思うよ。二度と会えなくなってしまった仲間たちの姿も視線の先にあることを忘れちゃいけない。温かい気持ちで接してあげるんだよ?」
「ふふっ、冷たくなんかするもんですか。彼は……私と同じ傷を抱えた存在なのですから……」
 前足で目元を拭うキュウコン。彼は思い出した風を装ってこんな質問をする。
「……そうだ。もしかしてロジャーさんは今日も門番に立っているのかい? ドラゴンタイプの彼には骨身に応える寒さだろうなぁ」
 答えは否だった。彼女は左右に首を振る。
「いいえ! きっと今頃はエプロン姿で夕飯の準備を手伝っていることでしょう! 実は……もう門番の仕事はしていなんです。いつまで経っても刺客なんか現れやしませんし、目撃情報だって途絶えて久しいですからね。半年前に警戒態勢が解かれたのを機にお役御免となり、普通の職員として働くようになったのです。……ふふっ、それこそ施設の目と鼻の先にあるキオスクに駄菓子を買いに行く時でさえ彼の許可が必要でしたからね。いい時代になったものですわ!」
 涼しげな顔で言うキュウコン。彼は一方の目に皺を寄せる。
「ははーん、分かったぞ? それをいいことに羽目を外しまくった結果が半年前の出来事だったワケだ? 腕白坊主のブルース君に誘われたことを差し引いてもね。まったく……そこは反省するんだよ?」
「うふふっ、ごめんなさい! あれ以来は気を付けていますので!」
 ペロリと舌を出した彼女は、ポリポリと後ろ足で頭を掻いてみせるのだった。
「ま、気持ちは分からないでもないけどね。……でも、よかったじゃないの。その工作員とやらが君たちの前に一度も姿を現さなくて! もう島に帰っちゃった後だろうさ!」
 一方の彼女は渋い顔だった。目を閉じた彼女は氷の息を吐き出す。
「いえ、彼らのことです。今も世界のどこかを彷徨い歩いていることでしょう。千年とはいかなくとも、長生きの種族には違いありませんからね。世界の終わりまで探し続けていればいいのです。そんな一生も悪くないと思いますわ!」
「はは、は……」
 皮肉たっぷりに扱き下ろすキュウコン。出たのは乾いた笑いだけだった。
「……そうでした、ベロベルトさん。最後に一つだけ。お願いがあります」
 彼女は前足を上げるポーズをする。
「ロジャーさんにも同じこと言った記憶がありますが……もし彼らが目の前に現れたら、きっとムシャムシャ食べちゃって下さい。私が許可しますわ。あ、舐め回して痺れさせる必要もありませんから、いきなり胃袋に収めてドロドロに溶かしちゃってくれて大丈夫です。彼らに必要なのは苦しみに満ちた死だけですので!」
 執念深さなら彼女も負けていないようだった。憎悪に満ちた言葉の数々に彼は戦慄を覚えずにはいられない。
「はっ……ははっ! そこは舐めさせてよ! なめまわしポケモンの名が廃るじゃないか! ……うん、分かった! その時は美味しく頂かせてもらうよ! お母さんと君の安全のためにもね!」
 彼の反応に満足そうに笑うキュウコン。彼女はこうも続ける。
「食べ方は丸呑みを強くお勧めしますわ。骨一本も残らないようにして下さい」
 流石に限界だった。腕組みをした彼は眉間に皺を寄せる。
「うーん、よっぽど恨んでいるんだね? 呪わば穴二つなんだから程々にしておきなよ? ……まぁ、それは置いとくとして、心配ないよ。この中で何もかもウンチになっちゃうからね。ところで、もし一本でも残っちゃったら……なにかマズイことにでもなるの?」
 お腹の贅肉を揉みしだきながら尋ねるベロベルト。彼女は声を潜める。
「なりますわ。……出るんです」
「えっ? 出るって……なにが?」
 怖い顔で舌を出した彼女は、ダラリと垂らした両前足を前に出すポーズをする。
「化けて出るんです! 強い妖力を持った個体は! ……彼らの中にも妖術を得意とする個体が何匹かいるハズですわ。ベロベルトさんの消化能力をもってすれば大丈夫でしょうけど……頭の片隅に入れておいて下さい。眠っている最中に首を絞めにこられるようなことがあっては大変ですからね!」
 両前足を喉に当てて目を見開くキュウコン。彼は背中を壁に貼り付ける。
「ひえーっ! 祟り殺されたんじゃ敵わないや! くれぐれも気を付けるよ!」
 もう一つの胃袋の使いどころだね。まぁ、どっちにしろ相手を見てからだ! ベロ袋の内側を舐め回した彼は心の中で呟くのだった。
 ネタ切れになると同時にドッと疲れが押し寄せてきたらしい。眠たそうな目をした彼女は大あくびを漏らす。
「ふぅ……これで私の話はお終いです。ご清聴ありがとうございました」
 ペコリと頭を下げた彼女に、彼は割れんばかりの拍手を送る。
「いやぁ、お疲れ! 悪かったね! 余計なことを聞いちゃったばかりに!」
「いえ、そんな! 気にしないでください! ……逆に感謝しなければいけないくらいです。ずっと心の奥底にヘドロのように溜まっていたものを何もかも吐き出せたのですから。スッキリした気分ですわ!」
「あははっ、アレだね! 太くて長いウンチをひり出した時の気分だ!」
 もう苦笑いなどしなかった。前足で指差した彼女は一緒に大爆笑する。
「それです、それ! まさにその時の気分ですわ!」
 ひとしきり笑い終えて頭に浮かんだのは宿のことだった。お腹を抱えたままの彼女を見つめた彼はポツリと切り出す。
「……ねぇ、コユキちゃん。今晩はどうするつもりなの? どこかアテでもあるのかい?」
 ないと知った上での質問だった。たちまち彼女はバツの悪そうな顔をする。
「それなんですが……泊めてもらえないでしょうか? 本当はもっと早くに来て、例の温泉で一泊していくつもりだったんですが……途中で何度も道に迷ってしまって! 情けない限りですわ!」
 大歓迎だった。彼は笑顔で首を縦に振る。
「いいよ! こんな汚い場所でよかったら泊まっていって! ……温泉なんかに泊まったら高いでしょう? 浮かせたお金で何か美味しいものでもお食べ! その方が有意義ってものさ!」
「うふふっ、鋭いご指摘で! ありがとうございます! それでは遠慮なくお言葉に甘えさせていただきますわ!」
 ジュルリと舌なめずりするベロベルト。両前足を頬の横で合わせた彼女は感謝の言葉を述べるのだった。
「さて……と。それじゃあ、オイラはもう寝ようと思うけど……コユキちゃんはどうする? もう少し飲むかい? あと、寝る前に何か食べたかったら言ってよ? 本当に遠慮しないでね!」
「いえ、結構です! ごちそうさまでした! ……あと、もう満腹ですのでお構いなく! お弁当を食べたばかりですので!」
 そういえば、行李の中に弁当箱が入っていたなぁ。それも割と大きめのが……。ふんふんと頷きながらカップを片付けるベロベルト。横たわるスペースを捻出した彼は、早くも片肘をついて寝転がる。
「そっか! じゃあ、お先に! ……そうだ、何か聞いておきたいこととかある? 今のうちだよ?」
 あくびまじりに尋ねるベロベルト。彼女は即座に前足を上げる。
「では二つほど。お手洗いって……ないですよね?」
 耳の痛い質問だった。彼はたまらず視線を逸らす。
「えーっと、お手洗いはねぇ……うん、ないんだ! 悪いけど外で適当に済ませてきて! 大きい方をする時はトイレットペーパーがそこにあるから持って行くといいよ!」
 顎をしゃくって指し示すベロベルト。両前足を口に当てた彼女はクスクス笑いを漏らす。
「うふふっ! 分かりました! 懐かしい気分に浸れそうです!」
 笑われちゃったよ……。恥ずかしさを募らせた彼は、顔全体をベロで覆い隠すのだった。
「もう一つは水瓶の水ですわ。使ってもいいでしょうか? 寝る前に歯を磨きたいのです」
 口の正面で前足を上下させるポーズをするキュウコン。笑顔で頷いた彼はタライの置いてある方を指差す。
「お好きにどうぞ! 口をすすいだ水はあそこに吐き出すといいよ。どうせ捨てる水だから……って、いけない! 忘れてた! もう溢れる寸前じゃないか! ……そぉれ! ベロォォォォォン!」
 慌てて立ち上がって例の珍妙なポーズを取り、いつもどおりの掛け声と共に舌を伸ばすベロベルト。ぐるぐると外周にベロを巻き付けた彼は、たくさんの真っ白い毛が浮かんだタライを軽々と持ち上げ、そして――
「……からの、ベロロロォォォォォン!」
 洞窟の入り口の方を向き、より間の抜けた掛け声を上げると同時にベロを伸ばしきる。洞窟の外に中身をぶちまけ、ベロを引っ込め、そして元あった場所に置いたら作業は完了。パチパチと拍手を浴びた彼は、腰に手を当てて胸を張る。
「……お目汚し失礼! それじゃ、また明日! 何かあったら起こしてね!」
「はい、分かりました! ……そっか、ベロベルトさんは歯磨きする必要ありませんものね!」
 再び横たわるベロベルト。そんな彼の口元を見つめた彼女は羨ましそうな顔をする。
「うん! ……ほぉら、見てのとおり! だって磨く歯がないもん! 甘い物だって食べ放題さ!」
 グパァッと限界まで顎を開き、ベトベトの唾液が無数の糸を引く口内を見せつけるベロベルト。中を覗き込むなり肩を落とした彼女は深い溜め息を吐く。
「いいですね、ベロベルトさんは虫歯にならなくて! 私も好きなだけ食べたいですわ、甘い物!」
 対抗するように大きく口を開けるキュウコン。目を凝らした彼は短い悲鳴を上げる。
「げっ! 銀歯が被せてある! しかも二つ! ……いやぁ、気を付けた方がいいよ、コユキちゃん! 二度あることは三度あるって言うからね! あははっ!」
 彼女はたちまち頬を膨らませる。
「もぉ、ベロベルトさんったら縁起でもないことを! 絶対に阻止してみせるんですから! ……というワケで、磨いてきますわ! おやすみなさい!」
「うん、おやすみ!」
 さぁ、寝るとしよう! 就寝前の挨拶を交わした彼は、ゴロリと寝返りを打って背中を向ける。
 歯を磨き、用を足しに行って帰ってきた後も、何やらゴソゴソしていた彼女だったが、やがては眠りに落ちていったらしい。スヤスヤと安らかな寝息を立て始めるのを耳にした彼はホッと溜め息を漏らす。
「よかった、どうにかバレずに済んだ……。こんなの見られたらドン引きされちゃうよ……」
 充血して天を衝いてしまった雄の象徴を見つめながらボソリと呟くベロベルト。その次の瞬間――彼の脇腹に何者かがポンと両前足を乗せてくる。
「うふふっ、バレバレですわよ!? ベロベルトさん!」
「うげげっ!? こっ、コユキちゃん!? おっ……起きていたの!?」
 隠そうにも金縛りに遭ったように首から下の自由が利かなかった。横を向いた彼は青い顔をする。
「えぇ、寝たフリをして様子を伺っていたんです! 私の鼻は欺けませんわよ!?」
 狸寝入りならぬ狐寝入りだった。前足を鼻に当てながらニシシと笑うキュウコン。ペロリと舌なめずりした彼女はグッと局部に顔を近寄せる。
「……まぁ、これはこれは! 立派なトロピウスの首のフサですこと! ベロベルトさんったら、そういう目で私のことを見ていらしたんですね! さんざん食べ物扱いしていたクセに! このっ、このっ!」
「いてっ!? いててっ!?」
 長らく山で暮らしていたからか、凄まじい脚力だった。面白半分に前足でバシバシと叩かれた彼は、身をよじって絶叫する。
 プツッ。
「……やったねぇ? コユキちゃん?」
「……えっ? どっ、どうしたんですか、ベロベルトさん? そんな怖い顔して?」
 理性の糸が音を立てて切れた瞬間だった。たてがみに両手で掴み掛かり、そして――
「どうしたもこうしたもないよ! お返しだっ! ……それーっ!」
「きゃぁぁぁぁぁっ!?」
 さっきとは逆方向に寝返りを打って仰向けに押し倒し、脂肪たっぷりの重たい体でのしかかり、ベタベタとキュウコンの体を触り始める。
「……あぁっ、最高! モフモフのフワフワだぁ! いつまでだってこうしていられるよ!」
 お腹の毛皮を揉みしだきながら目尻を下げるベロベルト。純白の毛皮に鼻を埋めて深呼吸した彼の顔に恍惚の表情が浮かぶ。
「ちょっ……ちょっと、ベロベルトさん! 嗅がないでください! ここ数日お風呂に入っていませんから臭いですよ、わたし!?」
 嫌がるかと思ったら逆効果だった。ガバッと顔を上げた彼はブーピッグのように鼻を鳴らす。
「えへへっ! そんなこと言われたら余計に嗅ぎたくなっちゃった! コユキちゃんの体臭! 口は災いの元だったね!」
「もぉぉ……ベロベルトさんの変態! もう知らないんですから!」
 さぁ、メインディッシュを頂いちゃおう! 脱力して大の字になってしまった彼女を尻目に、豊かな毛に覆われた長い尻尾を一本ずつ束ねていくベロベルト。束ね終えて抱き締めようとした瞬間――とある伝説を思い出した彼はパッと手を離してしまう。
「うふふっ、ご心配なく! 祟ったりするものですか! そもそも私にそんな力ありませんもの!」
 なにを考えているか大体の想像は付いた。嘲るように笑った彼女は尻尾をフリフリと振ってアピールする。
「あぁ、よかった! じゃあ……どこもかしこも触りたい放題ってワケだ!」
「もぉ、どういう意味ですか、それ!? ……って、あぁっ! そこはダメです!」
 と言いつつ、まんざらでもない様子のキュウコン。モミモミと全身を揉みまくられた彼女は気持ち良さそうに舌を垂らすのだった。
 この時の二匹は知らなかった。彼女を狙う黒い影が洞窟の外にまで迫っていたことを――。
24/08/11 07:47更新 / こまいぬ
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