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いない
日時: 2010/11/01 20:26
名前: ホシナギ

さて、とホシナギです。とりあえず、よろしくお願いします。

注意
・ポケモン×ポケモンの短編となります
・消化表現があります
・捕食要素がどんどんと薄れていきます
・Q:取り込み系は捕食に入りますか?
・A:入れてくださいお願いします


・目次。
 前編   中編   後編
 【朝】   【昼】  【夕暮れ】
 >>1-4 >>10-14  >>15


以上注意はおしまい、以下本編に入ります。

Page: 1 |

Re: いない ( No.1 )
日時: 2010/11/01 20:27
名前: ホシナギ


渓流は森の中で、燦然とせせらいでいました。


ごつごつと荒れた岩の中を、川はすいすいと流れていきます。
進み、当たり、砕けて、散って。
集まり、跳ね、飛沫いて、咲いて。
そして水は白くきらめき、また先へ先へと向かっていくのです。


深緑は泰然として佇み、足元までを染めていました。


濃淡色調さまざまな緑色が辺りを取り巻いています。
漏れ出る日光も、黄緑に薄く色づいているよう。
水面に落ちた光は、川の水の揺らぎに従って飛んでいきます。
渓流を包み込む森は、朝の光を浴びてきらきらと輝いているのです。


足取りは軽く、我先にと歩みを進めていました。


静謐とした森の中。
清冽なる渓流に沿い。
シャワーズは歩いていました。

せせらぎに耳を傾け悠々と。
深緑を目の端で追いすいすいと。
鼻歌でも歌うように軽やかに。
彼女は、川辺を歩いていきます。ゆったりと歩いていきます。


今森を散策するこの瞬間、彼女の至福を邪魔する者など、この世のどこにも、




   *   *   *











いない   、のです。











   *   *   *   



シャワーズは、ただ漫然と森の中を歩いているという訳ではありません。
彼女は、とあるポケモンを待っているのです。
そのポケモンとは、彼女の友人・オーダイルのことです。

しかし待っているといっても、明確に約束をしたのではなく、
恐らく今日もこの渓流をうろうろとしていれば会えるだろう、という
とても頼りのないものでした。

けれどもそれが彼女の日常。
なんとなく森の中を歩き、大抵は彼と落ち合い、
やっぱりうろうろと時間を潰したり、適当なおしゃべりに興じてみたり、少し遠出をしてみたり、
そうして日が暮れて、二人はそれぞれの棲家へと別れます。
それからまた次の日がやってきて、今日はどこへ出かけようかと思案を巡らせます。
出かけた先で彼と出会えるかはわかりません。
ですが、世界はきっとそんなに広いものではなく、
散歩が趣味の彼の事ですから、いつだって意味もなくどこだかを歩いている事でしょう。
彼女がどこにいたとしても、きっと彼は彼女を見つけて、こう呟くのです。

おいおい、一体全体なんでまたどうしてこんなところにいるんだよ、と。

それはこっちのセリフだよ。どうして君はボクの行く先々にいるんだい?
まさか、ボクのことをつけているわけではあるまいね?

彼女はそんな掛け合いを想像して、くすりと微笑みました。


   *   *   *   


彼と彼女は、ずっとずっと昔からの知り合いでした。
シャワーズがまだイーブイであったときに。
オーダイルがまだアリゲイツだったときに。
二人は出会ったのです。

大抵のイーブイは、家族で群れをなして生活しています。
彼女もご多分にもれず、たくさんの兄と共に生活していました。
末っ子で、かつたった一人の妹であった彼女は、それはそれは溺愛されていたことでしょう。

ある日、彼女はその兄たちからはぐれてしまいます。
きっかけはわかりません。忘れてしまいました。
自分から蝶々でも追いかけてはぐれていってしまったのでしょうか。
兄たちが自ずから自分を置いていってしまったのでしょうか。
とにかく、どこかへと消えてしまったのです。

たった一人になってしまった彼女は、途方にくれてしまいました。
いつも兄と一緒で、ろくに他のポケモンと接したこともありません。
それに、あたりを見回しても、誰かいるような素振りはなく、
世界の中でたった一人になってしまったかのような錯覚に捕らわれました。
もしかしたら誰かはいたのかもしれませんが、
突然全ての兄が消えてしまった彼女にとってはそんなもの、いないも同然だったのです。

何か縋るものを求めて、彼女は歩きはじめました。
にいさん、にいさん、とか弱い声で呼びながら。
疲労と恐怖に耐えながら。
とぼとぼと彼女は歩いていきました。

そうしてとてもとても長い時間が経ったような気がした頃、
彼女は1人のポケモンを見つけたのです。


それが、アリゲイツ――今のオーダイル――でした。


彼は木陰で仰向けになって、すやすやと寝息を立てていました。
時おりぐぐうと小さないびきすら聞こえてきます。
大きなお腹を揺らして、それはそれは幸せそうに眠っていました。
うららかな日差しが降り注ぐ午後のことだったので、
確かに、昼寝には最適であったかもしれません。

彼女の心には、おかしいやら不安やら、ようやく誰かに出会えた安堵もひっくるめて、
いろんないろんな気持ちが溢れ出してきました。
そうして緊張の糸が一気に緩んだ彼女は、
気を失うように彼の隣で眠ってしまったのでした。


それが、二人の出会いです。


   *   *   *


それから二人は大抵の時は一緒にいるようになりました。
彼女は彼以外に伝もなく(とはいっても彼すら伝というには怪しいものですが)、
なんだかんだで彼が面倒見の良い性格をしていたことも手伝って、
二人はまるで、兄妹のようでありました。

けれども彼女の兄は確かに別にいて、それは確実に彼ではないのです。
そのことが時々、彼女を寂しさで押しつぶそうとします。
そんな時に、彼はこう言ったのです。


「おれはお前の”にいさん”にはなれないよ」

「おれたちは”友達”、だろ?」


二人は、友達になりました。

それからの二人の関係はそこまで大きく変化したわけではありません。
彼女が彼を慕って、彼は彼女の傍にいて。
が、彼女にとってはその言葉はとてもとても重要だったのです。

彼女は兄以外のポケモンとはほとんど接した事がありません。
彼女にとっては、自分以外は全て、兄であったのです。兄が世界だったのです。
突然その兄が彼女の前からいなくなってしまい、
その兄のスペースに彼が滑り込んでしまえば、
彼女の”いままでの世界”も、兄らともに消えてしまったことでしょう。



彼はとにかく散歩が好きでした。
森に行ったり山に行ったり海へ行ったり。
洞窟を抜けて湖に潜って川を下って。
彼はいつだってどこかへぶらぶらと歩いていきます。
”散歩”という生易しいニュアンスを大きく逸脱する事も多々ありましたが……。
彼はとにかく散歩が好きでした。


「こうやっていろんなところを歩いて見ていると、
 世界の広さだとか美しさだとか、
 おれたちの小ささだとかせせこましさだとか、
 そんなおれたちが世界の中にいることのすごさだとか、
 いろいろ、なんというか、生命賛歌じゃあないんだが、
 とにかく、何か感じるものがあるだろう?
 ……おれは、そういうのが好きなんだ。
 だから、やめられないんだよなァ……」


彼は一度だけ彼女にそう言ったことがあります。
それを聞く頃には、ずっと彼と一緒にいたためか、
彼女もとっくのとうに散歩が大好きになっていましたが。



イーブイというものは、その遺伝子の不規則さからくるものなのか、
得てしてか弱いものです。
だからイーブイは群れをなして生活しているわけですが、
それでもやっぱり小さく弱いイーブイたちは狙われやすい存在であると言えるでしょう。

彼女も例外に漏れず、時々襲われることがありました。
それを助けてくれるのは、やはりいつだって彼でした。
彼女はバトルが得意ではなく、むしろ不得手でありましたが、
彼はそこそこバトルが強そうに見えました。
とりあえず彼女は、ここ一番というときに彼が負けるところを見たことがありませんでした。
まあそんな時に負けられてしまえば、彼女が今どうなっているやら想像もつかないのですが。

いつだって彼女が襲われそうになった時、
彼は小さな身体で、自分より大きな相手に立ち向かっていきました。
そうして傷だらけになって血みどろになっても、決して負けませんでした。
勢いを殺さずむしろ乗算させるべく行動してつまりは回転によりなんちゃらかんちゃら。
強さの秘訣はそんな事だと言われた事があるような気がしますが、良く覚えていません。
何故なら、敵を撃退した直後で血まみれのべたべたになった彼を気遣う方に精一杯だったからです。


「どうして、どうしてだよ!」

「ん? なにが」

「なんで君はこんな、こんなボクのためにぼろぼろになってまで……、
 助けてくれるのさ! 意味がわからないよ!」

「んー、だって」



「……お前がいなくなったら、静かになるなあ、なんて思って」



   *   *   *


あるとき、彼はとうとうオーダイルへと進化しました。

水辺でしゃくしゃくと彼女が木の実をかじっているときのことです。
遠くから聞きなれない低い声がして、おーい、と誰かを呼んでいました。
知らない声であったため、まさか自分を呼んでいるとも思わず、
とりあえず反応することなく、彼女は木の実をかじりつづけました。

なんだよ、無視するなよな?

背中をちょんとつつかれて振り向いた先にいたのは、
にこにこ笑顔のオーダイルでした。
自分を見せびらかすように両腕を広げて、
唾を飛ばすような勢いで嬉しそうに言いました。

ほら、見ろよ! 進化したんだ!

対して彼女は、あ、と呟いて木の実を取り落としました。
それから一歩二歩じりじりと後ずさり。
あたりをきょろきょろ見回して、ぎゅっと目を瞑って一言。


「あ、ああ、あああ……、……助けて、食べないで!」


進化した彼の大きな身体は、彼女にとっては、
いつだって彼女に危害を加えようとした、外敵のようなものでした。
大きな身体で彼女を追いまわして、
大きな手で彼女を鷲掴もうとして、
大きな口を弓のように歪めて笑う、恐怖の姿でした。
こんなにも接近を許してしまうなんて。
もう、すぐに捕まってしまうのに。
ああ、助けてくれる彼も、今はここにいないのに……!

……おれだよ。

ああ、え? ……ダイ? ダイなのか?

そうだよ。

え……、あ、あのっ、そ、


「ごめんな、驚かせて。
 よく考えりゃあわかることだったよな。お前がびびることくらい。
 そうだよな、怖いよなァ……。
 悪かった。配慮が足りなかった。
 だから、ほら、もう泣く必要なんて、ないんだから、な?
 大丈夫か? 立てるか?」


彼は悲しそうな顔で微笑みながら、彼女に手を伸ばします。
少し身構えてしまったものの、そっと彼女の頭を撫ぜた手は、
いつだってどこだって変わらない、たった一人の彼の手でした。


そうして、彼女の頭には、また新しい感情が浮かび上がってきました。

あんなに酷い事をしたのに、彼はただ笑って、許してくれた。
もっと怒ったり、バカにしたり、責めたりするのが、正当な彼の感情だろうに。
ああそれは、きっとそれは、ボクが彼にとってそういう位置付けであったからだ。
どんなことをしても許してやって、命をかけても助けてやって、
ボクはそういう、彼にとっての、”妹”なんだ……!

それは、なぜだかものすごく嫌なことに思えました。
彼が怒った時には怒って欲しいし、嫌な時にはいやがって欲しいし、
そうやって、自分のために彼を制限して欲しくなかったのです。
それから、そんな自由な彼の隣で、彼女は笑っていたかったのです。
その時ボクは、ダイの妹では、いたくない!
ボクは、ダイと対等な関係でいたいんだ!! 


たぶん、そのときだったのではないでしょうか。
彼女が、彼のことを好きなのかもしれないなあ、と思ったのは。



「ねえ、ちょっとボクはこれから君との距離感をもう少しばかり意識したいと思うんだけど、
 どうかな?」

「は? ……え?」

「あーいやいや、勘違いしないでくれよ?
 別にボクが君のことを嫌いになったとか、そういうわけでは全然ないんだから、さ。
 むしろボクは君のことが好きだよ。……うん、大々、だーいすき。
 でもさ、やっぱりボクはすこぅしばかり君とベタベタしすぎてたっていうか、さ、
 やっぱり、申し訳なかったかなあと思うところもあるんだよね。
 君だってボクみたいなのが周りをちょろちょろしてたら邪魔だろう? なーんて、
 思い上がったことは言わないけどさ、
 それでもまあ、あんまり君に迷惑ばっかりかけるのも忍びないからね?
 だからボクはそろそろもうちょっと自立すべきだろう、って思ったんだよ」

「…………」

「そんなにボクが心配? いやいやもう、大丈夫だってば。根拠はないけどね。
 たとえボクが君と別れようとも、ボクらは”友達”。それは変わらないよ」

これからは変わるかもしれないけれども。




「それじゃあダイ、これから先いつまでも末永くよろしくね?」




Re: いない ( No.2 )
日時: 2010/11/01 20:29
名前: ホシナギ

大きな岩が段々とつみあがり、小さな滝を作っています。
わずかな滝壷はシャワーズがようやく泳げるか、といったものでありましたが、
そこから連なる流れは穏やかな淵となって、緩やかに流れています。

そこは、この森の中を流れる川で、彼女が一番好きなところでありました。
日の光と川が交互にきらめきあっていて、
川のせせらぎと風のそよぎが響き渡って、
時間がゆったりと流れているような気持ちになります。
森の奥の方であり、もしかしたら秘境と呼んで差し支えないのかもしれません。
もしかしたら、知っているのはオーダイルとシャワーズの、二人だけかもしれません。

シャワーズは岩の上でぐぐーっと伸びをして、ちょこんと腰を降ろしました。
午前の太陽は優しく彼女に微笑みかけます。
ほのかに温かな岩が気持ちよく、そっと腹這いに伏せました。
お腹の奥の方からじんわりと熱を帯びていきます。
耳をそばだてれば、木の葉のこすれる音がどこか遠くで聞こえました。

そっと彼女は目を閉じました。
最初は、より深く辺りの音に浸るためでしたが、
心地よい空間で、次第にシャワーズはまどろみに落ちて行きます。


   *   *   *


そして、彼女は異臭に目を覚ましました。
物が腐るような臭いがどこかからか漂ってきます。

しまった。逃げなきゃ。

どんなに人が立ち入らない領域であるといっても、さすがに気を抜きすぎた。
彼女は自分を恨みました。
そしてそのときにはもう遅く、
川べりから紫色のヘドロが這い上がってきます。


それは、うずたかくつもった、立派なベトベトンでした。


ベトベトンはシャワーズを見て、にやりと口で弧を描き、
じわじわと跡を残して迫ってきます。


   *   *   *


いくら彼女がシャワーズに進化したと言っても、
バトルが苦手な事は大して変わりありません。
ただ昔と違うのは、昔より少し逃げ足が遅くなったこと。
そして、相手の虚を突いたり、隙を作り出して逃げたりする、ごまかしがきくようになったこと。

いくら川から上がってきたといっても、相手は所詮ベトベトン。
泳ぎに関しては圧倒的に分があるはずです。
せっかくの川辺です。地の利を生かさない道理がありません。
見る限りそこまで俊敏な動作はできなさそうなベトベトンです、走って逃げてもいいのですが、
逃げる背中にヘドロこうげきやダストシュートを当てられてしまえば、
大きなダメージを受けてしまうでしょう。
その間に追いつかれないとも限りません。
ここはやはり川へ逃げるのが得策かと思われました。

そうなると問題は、自分と川の間にヤツがいることです。
なんとかしてベトベトンの横をすりぬけ、川へ突入する。
彼女にはひとつの策がありました。

(……”とける”だ!)

シャワーズの特徴のひとつとして、体の細胞のつくりが水分子に似ている、というものがあります。
それを利用して、身体を水とそっくりの液状にすること、”とける”ことが彼女には出来ました。
突然目の前の獲物が”とけ”はじめれば、確実に相手は動揺し隙が生まれるでしょう。
ひとたび”とけれ”ば、これが思ったより目立ちづらくなります。
川まで辿り着くのも楽になるはず。川に入ってしまえば水と見分けがつきません。
さらに、”とけ”てしまえば相手の物理攻撃を受け流す事も出来ます。
相手はベトベトン、得意とする攻撃は物理攻撃のはずです。

まずは、”とける”。
”とけ”きる前に、ふいうちやかげうちをされるかもしれないので、それには用心する。
そして、相手の攻撃を受け流しながら川へと向かい、
そのまま、川の流れに従って逃げる。

(これで、大丈夫なはず……!)




じりじりとベトベトンが迫ってきます。

シャワーズは”とけ”はじめます。

突然どろりと融解しはじめたシャワーズを見て、ベトベトンは大きく目を見開きました。

そうしているうちに、彼女は全身すみずみまで”とけ”きりました。

(これで、逃げれる!)

それから、ベトベトンは何かうめき声を発して。

にやり。

「え、」

「ええええ、」

「えええええええええええええええええええ」







「嘘だろおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」








彼女が見たのは、押し寄せる紫色の濁流。
もはやそこに、うずたかくつもったヘドロの姿はありません。
粘性を失ったヘドロが、波と化して彼女に襲い掛かったのです。


ベトベトンがとった行動は、”とける”。













紫の波が、小さな水溜りを攫って、流れていきました。



Re: いない ( No.3 )
日時: 2010/11/01 20:29
名前: ホシナギ

森の中を流れる渓流などどこにもありませんでした。
足元を染める深緑すら存在しませんでした。
けれども、彼女は”そこ”にいて、目を覚ましました。

「…………よーし、ちょっと落ち着こうか」

とりあえずあたり一面を見わたします。

”そこ”には、何もありませんでした。
ただ真っ暗、いえ、真っ黒な世界です。
真っ暗だから真っ黒なのかと思えますが、それは違いました。
彼女自身の姿は見えますし、足元は赤茶けた岩となっているのが見えます。
真っ黒だから、黒しか見えないのです。

その黒でさえ、一概に黒、といえるものではなく、
全ての色をまぜこぜにしてぶちこんだような、そんな複雑怪奇な黒でした。
ときどき、その黒はどろどろとうずまき、うねっていました。

「さあボク、ここに見覚えは? ……あったらボクは君をボクだと認めないよ?」

”そこ”は、この世界中のどこにも存在するとは思えない場所でした。
足場となっている岩場は、そこまで広いともいえず、すぐそばに端が見て取れます。
恐らく、端から端まで、三十歩ほどなのではないでしょうか。
足場のふちから下を覗いてみると、下のほうにも延々と黒が続いています。
恐る恐る手を伸ばしてみても、やはり足場からこぼれれば、落っこちてしまいそうです。

「とりあえずまずは状況確認が先決、かな?」

全く訳のわからない状況で、シャワーズはひとり呟いていきます。
たった一人で、黒く塗りつぶされてしまいそうだからこそ、
彼女は声を出しているのです。

「まずボクは今日も今日とてのんびりゆったり適当に散歩を楽しんでいた。
 これはどうしようもない事実たりえるだろうね。
 まあ、あわよくばダイ――友人のオーダイルだ――に会えるかもしれないしね?
 それで、今日は天気がいいから川を歩くことにしたんだよ。
 あそこはいいよ? 風は気持ちいいし、水はきれいだし。
 それから、奥の方まで行けばこれが案外人がいない。
 あんなにきれいな場所なのにどうしてだろうね?
 まあ、人だらけになっても困るけどさ。
 やっぱり、ヒミツの場所ってのはいいもんだよ、うん。
 それで、そのヒミツ中のヒミツ、小さな滝に差し掛かったところで、
 まあ、その……、無警戒にもうたたねをしてしまったわけだ。
 だって、仕方がないじゃないか! あんなにも気持ちがいいんだもの……。
 まだ太陽が南中すらしていないってのに、我ながらなんていう怠惰だ、ってのは確かに思うよ?
 でも、あんなにも穏やかで落ち着いてたら、誰だって昼寝のひとつくらい、
 嗜みたくなるだろう? なるんだよ! ボクは!
 とにかく、ボクが少々睡魔に負けているとだな、
 なんだかいやーな臭いが漂ってきて、それで目を覚ましたワケ。
 そうしたら、川の中からベトベトンがコンニチハ、と相成りました、ってな感じだ。
 ああああああああああ! そんな近くにくるまで気付かなかったなんて、なんていう体たらく!
 それにしても、なんであいつに気付けなかったんだろう?
 川を流れてきたから? でもそれだとすると、必ず滝に引っ掛かるよね。
 あそこの滝は素直じゃないからね、段々の岩を段々にだんだん流れてくるんだよ。
 それに、臭いで気付いたんだから、もっと川の上流のうちから漂ってきてもおかしくないよね?
 うーん……。なぜだろう……?
 ヘドロ? 地面に染み込んできたとか? 川の下の。
 ……なんかもうそういうことでいいか。起こってしまったことは変えられないよ。
 それから、ボクはそのベトベトンに狙われそうになって、
 ボクは”とけ”てからあいつの目を盗んだり、攻撃を受け流したりして、
 川に流れて泳ぎながら逃げる作戦を立てた。
 で、見事ボクが”とけ”たところで、あいつも”とけ”て……。
 以上、これがここまでのあらすじ、もとい、ボクの記憶」

一呼吸。

「さて、問題です。ボクとは一体、誰なんでしょう。
 ……ボクの記憶によれば、ボクはシャワーズのはずなんだけど、間違ってないよね?
 間違ってたら大問題だよ。先述の記憶って一体なんだったのさ」

彼女は自分の身体を見回します。
水色の毛並みに、ひれのついた尻尾。襟飾りも、頭のひれも、全部いつもと変わらない、彼女のものでした。

「間違っちゃあいないね。
 じゃあ、いったいこれはどういうわけなんだ?
 どこかに、連れ去られたとか? ない、よねえ。
 だって足場がここにしかなさそうだもの。
 ベトベトンは空を飛べない。宙にも浮けない。ボクもしかり。
 こんな孤島、あはっ、まさしく孤島だね!
 これが海だったりしたらまだ泳いで逃げられそうなんだけどな、
 さすがにこんなわけのわからないどろどろうずまきの中に突撃する勇気はないや」

そう言って彼女はきょろきょろと眺め回します。
辺りは変わらず、やはり全ての色という色を内包したかのような、
入り混じってぐちゃぐちゃで濁りきった、黒。
そうして時々揺らいで歪んで、どよめいていました。

「なんなんだろうねえ、もう」

ダイ、君ならこの状況はなんなんだと思う?
なんとなく呟いてみるものの、答えはもちろんありません。
そのまま、呟きは黒々とした闇に吸い込まれていきました。

「まずボクは、ベトベトンに巻き込まれちゃったんだろ?
 となると、ここはベトベトンの体内とか?
 ……どう考えても広すぎるよなあ。それになにより、臭くない。
 うーん、意味がわからないよ。
 ……死後の世界とかそういうジョーク? まったくもって笑えないよそんなの。
 んー、……ん?」

とぐろをまく暗黒の中に、なんだか赤みを帯びた箇所がありました。
わずかに、ほんのわずかに、周囲より赤っぽく見えなくもありません。
じっと目を凝らして見てみました。
なんだか……、赤っぽい……、点がある?
点が、集まってる?
そうやって見てみると、他にもどことなく青っぽい部分や、緑っぽい部分など、
ところどころ色が強い部分もありました。
そして、得てしてその部分は、色の点が集まっているように見えます。

「点、かなあ……? 色の点?
 色の点が集まって、黒く見えてるのか?
 赤い、色の点……。揺らいで? 炎!?」

シャワーズは崖のふちから下を覗き込みました。
ねっとりと広がる黒の中を、覗き込みます。
目を凝らして、じっと見つめて、もっと、良く見るんだ……!



「ポケモン、だ……」



”そこ”は、ポケモンがひしめく空間でした。
たくさんの、数え切れない、那由他の彼方へも及ぶ数のポケモンが、
上にも、下にも、右も左も全部全部を占めているのです。
色とりどりのポケモンたちが、集まる事によって、真っ黒に見えていたのです。

そして。










「わかったよ、”ここ”がどこだか」



「”ここ”は、おまえの精神世界。違う?」


シャワーズは後ろに語り掛けました。
より正確を期すなら、後ろから漂う異臭に話し掛けました。







はたしてそこには、例のベトベトンがいて。

















「原理は知らない。まったくもってオカルティックだとは思う。
 けれども、ゴーストポケモンもエスパーポケモンもいるのに、
 オカルトを信じないのはナンセンスだ。
 だからボクは信じよう。信じるさ。
 ボクたちは互いに”とけ”て液状になった。
 それで、ボクはお前の波に攫われたんだ。

 ボクたちは、そこで入り混じったんだ。

 液体と液体が混じって、一体となった。
 だから、ボクは”ここ”にきたんじゃないか?
 なんといっても、大きさとか、いろいろ圧倒的に優位だったのはお前だろう?
 だから、お前の”精神世界”――それとも、”心象世界”だったりするのかな――にきてしまったんだろう」


ベトベトンはにやにや笑顔を崩さずに、シャワーズに迫ります。


「それでは、この周りにいるポケモンたちはなんなんだろう。
 そんなもの、決まっているだろう。
 みんな、お前が喰った、融かした、取り込んだ、ポケモンたちだ!
 お前に吸収されたら、”この世界”を形成する”黒”の十把百把万把兆把那由他把一絡げの
 色の点となるんじゃないのか? まあ憶測にはすぎないんだけどね。
 ボクも本来なら、こうなるはずだったんじゃないかなあ?
 だけどボクは、運が良かったのか悪かったのか、ここにいる。
 それはやっぱり、”とけ”合ったからなのだろうね。
 おまえの一方的な吸収でなく、細胞どうしが入り混じった状態なのだろう」


ベトベトンは迫って。迫って。迫る!


「わかるかな。要するにね、こう言いたいんだよ。
 ”世界”の黒は、全てお前が殺したポケモンたちによるもの。
 ボクは、その一端を担っている状況では、ない」




つまりだ。




「ボクはまだ、喰われてない! ボクはまだ、生きてる!!」




とうとうベトベトンは、シャワーズのもとに辿り着きました。
にやにや笑顔は、依然としてそのまま。
だからなに? とでも言うように、ヘドロの腕をシャワーズへと伸ばします。


「ボクを呑みこもうっていうのか?」


シャワーズは、きっ、とベトベトンを睨めつけます。
ベトベトンの手がもう目前にありました。
にやにや笑顔は、いっそう大きく歪んでいます。










「ボクは、ボクを、お前には渡さない!!」









ベトベトンの腕が、ひいては体が、彼女に触れました。
顔に触れて、首を、胸を、足を、腹を、全身を撫ぜます。掴みます。這いまわります。


けれども、シャワーズは決して目を閉じることなく、ベトベトンをきつくきつく睨みつけます。

Re: いない ( No.4 )
日時: 2010/11/01 20:32
名前: ホシナギ










































































ああ最後に、ダイに会いたかったかも、しれないなあ。
そんなことを、思ったり、思わなかったり。
Re: いない ( No.5 )
日時: 2010/11/01 20:36
名前: ホシナギ

以上、短いですが、前編・朝、終了となります。
これから先、中編・昼 → 後編・夕暮れと続く予定です。
一応プロット自体は立っておりますので、そこまで長くはかからない、でしょう。
試験的に、いったん中途投稿させていただきます。

ちょっとなんか文章力の激減っぷりに軽く萎えつつも少しばかり予告をしますと、
メインのサービスシーンは次の中編にて、その後、捕食シーン自体は含みませんが、おはなしのまとめとなる後編へと続く予定です。

それでは、どうぞ最後までお付き合いください。
Re: いない ( No.6 )
日時: 2010/11/01 20:45
名前: ロンギヌス

「いない」っていう名前がものすごく壮大で怖く感じるのはなんでだろう…

とても深い作品ですね。面白かったです。
Re: いない ( No.7 )
日時: 2010/11/01 21:28
名前:

文学作品的な言葉遣いがいい味を出してると思います。
これは早く続きを見たい!
Re: いない ( No.8 )
日時: 2010/11/02 01:04
名前: 名無しのゴンベエ

綺麗で流れるような文章、グッとくる台詞回し…
ホシナギさんの創作力の高さを改めて感じさせられました。キャラも魅了的ですね。
オーダイルとシャワーズの絶妙な関係がすごく好みです。一体ここからどういう展開になるのか…
Re: いない ( No.9 )
日時: 2010/11/04 23:35
名前: ホシナギ

>>ロンギヌスさん
一応仮にもタイトルですので、”いない”はキーワードです。
とは言っても文字通り以上の意味はたぶんない、はず!
深い、というのも恐縮です。ありがとうございます!

>>柿さん
たぶんこんなのをブンガクテキなんていったら文学に失礼になると思います!
ただちょっとわかりづらくて遠回りで文字数が多いだけです。
あとは同じ表現の繰り返しを避ける、とか? ベトベトンの接近は「迫る」一辺倒ですが。
続きは鋭意執筆中ですのでもうしばらくお待ちください……。

>>名無しのゴンベエさん
正直、自分でも野暮ったくてとっつきづらくて面倒くさい文章だなあと思っておりますので、
きれいとか言ってくださると、すごく励みになります。
今回は完全にキャラも設定もいろいろ展開とか私の趣味を詰め込んで、
その分妥協することなく書いていきたいと思っていまして、ですからできるだけ言葉とか厳選してます。
期待にそぐえるようにがんばります。
Re: いない ( No.10 )
日時: 2010/11/11 18:57
名前: ホシナギ



段瀑は岩肌を飛ぶように落ちて、いくつもの白い糸を降ろしていました。


水の流れは、積み重なる壇を滑ってはまた新たな壇にぶつかって、
小刻みに分かれながら美しく滝を作っています。
隠れるもののない澄んだ水も、段となる際には光に照らされ、白い幕となっています。
主張しすぎない、謙虚でも確かな美を持った滝が、そこにはありました。


渓畔林は午後の光を一身に浴びて、ときどき風にそよいでかさりと鳴りました。


うららかな日差しが森を照らしています。
じりじりとした厳しさはもうすっかりと影を潜め、
すっかり太陽が昇った今でも、やさしく光は森に降り注ぎます。
木の葉の擦れる音は、水のせせらぎと織り交ざって、しとやかでありました。


足取りはしっかとして揺るがず、けれども一歩一歩が踊るように軽妙でした。


秘めやかなる森のそば。
清らかな滝を追って。
オーダイルは歩いていました。

落ちる滝を横目に悠々と。
葉擦れを遠巻きにしてすいすいと。
鼻歌を歌いながら軽やかに。
彼は滝を降りました。そして、一言つぶやきました。

「んー? ……なんだ、まだいないのか、珍しい」

オーダイルは、シャワーズに会えるだろうと思って、この渓流を下ってきたのでした。
この滝は、彼女が世界で一番気に入っている場所であることですし、
彼自身とても好きな場所でありました。
景観もさることながら、ほとんど誰にも知られてはいないという専有感が、
彼女と二人の秘密であるような気がして、心弾む空間だったのです。

うろうろと散策をしていたため、すでに太陽が真上を少し過ぎてしまったのは失敗でしたが、
今日は天気もいいことだし、きっと彼女はうたたねでもしているだろうと思っていました。
もしも無警戒にも居眠りしているようだったら、どうやって驚かせてやろうか。
そして、彼女はきっとこんな言い訳をするのだろうな、と想像をしてほくそ笑んでいたのです。

べ、別に油断してたわけじゃないんだぞ?
ほら、ダイだし? ダイだってわかってたからボクは寝続けてたんだよ。
いずくにかのなにがしさんだったら、ちゃっちゃと起きてとっくのとうに逃げてるさ。

ところがそこに彼女はいなく、彼は少し拍子抜けしたのでした。


   *   *   *


木々の向こう側で、オーダイルが辺りを見回しているのが見えました。
オーダイルは眉間にしわを寄せて、きょろきょろと周囲を伺っています。
それは、何かを探すかのように。

見つかったか。

そう思って、少し身構えます。
オーダイルはそのまま、こちらに背を向けて、腰をおろしました。
川に足を浸して、右手で水を跳ね上げます。
水は少し宙に舞って、音を立ててまた水面に還っていきました。
どうやら、こちらには気付かなかったようです。

バレては、面白くない。

一安心。思わず息が零れて、慌てて口を抑えます。
オーダイルは退屈なのか気にいったのか、あるいはその両方か、水をもう一度投げました。
見た目に似合わないかわいらしい行動に、少し口元が緩みます。
恐らく、今の自分はものすごく意地の悪い顔をしていることでしょう。
口元の大きく歪んだ、意地の悪い笑顔を。

さて。

木々の隙間を縫うように、そっと森から這い出ました。
オーダイルの青い背中に忍び寄ります。


   *   *   *


「やっほー。ご機嫌いかがかな? ダイ」

「おう? なんだいたのか。隠れてるなんて意地の悪いやつだ……、!?」

「あはは、気付かない方が悪いってば。のんきなやつ」

「お前……、それ、……え?」

「ああ、これ? うーん、やっぱりびっくりしちゃうよねえ」





「こーんな、ドロドロじゃあ、ねえ?」







木々を薙ぎ倒しながらオーダイルに忍び寄ったのは、

ヘドロの体。

見慣れた顔。

少年のようにおどけた喋り。

いつもつるんでいるあのシャワーズの、変わり果てた姿。




   *   *   *


彼女の姿は、彼が最後に見たものとは大きく異なりました。

まず、全身がヘドロで形成されています。
腰から下はドロドロと崩れ、一般のベトベトンのようにとろけています。
這った跡はヘドロで汚染されて、草木が枯死していました。
尾ひれのついた尻尾が、ずるずると引きずられています。
ヘドロの体だというのに、不思議とにおいは感じません。
それから、積もったヘドロの頂点より、シャワーズの上半身が生えています。
背筋がすらりと真っ直ぐ天に向かって伸びて、まるで二足で歩くかのよう。
なぜだか、彼女の顔が近くに感じました。

「お前、それっ、どうしたんだよ! 大丈夫か!」

「わわ、だめだってば!」

「……っ!」

オーダイルは彼女に掴みかかりましたが、
手の平が少し触れた途端に走った痛みに、思わずその手を離しました。
触れた部分が少し、赤く爛れています。

「あ、悪ィ……」

「一応今のボクの身体はベトベトンなんだから、触っちゃだめだよ! 見てわかるだろう!?
 ……あーあ、ほら言わんこっちゃない。手がとけちゃうよ?」

「ごめん」

「なーに謝ってるのさ。まったく、お人好しなんだから」

「それでも、やっぱり突然こんなことされたら、傷つくだろ」

むしろ。
ボクがこんなんでも、迷わず掴みかかろうとしてくれるのは、少し、ううん、かなりすごくとっても嬉しいかもね。
そんな照れくさい言葉は噛み殺して。
焦りながら少ししょげるオーダイルにかけるのは、別の言葉でした。

「別に、当たり前だろう? ベトベトンは毒なんだから」

「……どうして、こんなことに?」

「かくかくしかじか」

「意味わかんね―よ」

「ジョークジョーク」

「ふざけてる場合じゃないだろ!!」

オーダイルの怒る様に、彼女は少し驚いて目を見開きました。
なんだか、彼が怒るのはすごく久々な気がします。
殊、自分に向かって怒るのは。
それだけ自分のことが心配なのかな、と思うとなんだか嬉しくなりました。
一方彼は、彼女が予想以上に驚いたので若干申し訳なくなり、あー、と声にだして呟いていました。
ちゃんと教えてくれよ、という意味もこめて、真剣な顔で彼女をじっと見つめます。
吸い込まれるような眼差しに、彼女は顔に血が昇りそうでした。
昇る血なんて、もはや通っていないのに。

「だって、お前それ……、大丈夫、なのか? 辛くないのか?」

「当面のところ、不調はなさそうだよ」

「どうして、そうなった?」

「ベトベトンに襲われて、一体化しちゃったみたい」

「……喰われたってこと?」

「いや、一概にそう決めつけられるわけじゃなくってだね……、
 話すと長くなるんだけど、しかもボク自身あんまり理解してないんだけど、
 簡潔に言うとね、ボクはたぶんベトベトンに勝ったんだよ」

「はァ?」

「いやまあまずは取り込まれちゃって、それからたぶん、精神面で勝った。
 誰があいつにボクなんて差し出してやるもんか」

それがダイならいざ知らず。

「精神的に優位だったのは、ボクの方なんだよ。
 そうだね、”ボクはベトベトンに取り込まれた”んだけど、
 ”意識でボクはベトベトンに打ち勝った”んじゃないかな?
 だから、ベトベトンの身体でボクの意識の、極めて奇妙な複合体が誕生した、んじゃない?」

「んー、そんなことが本当にあるのだろうか? なーんて言ってみたとして、
 現実には、そうなってるわけだもんなあ……。
 起こってしまったことは変えられないよな、うん」

ちょっと俯き、腕組みをして考えるオーダイルの姿はなんだか妙に様になっていて、
少し惚れ惚れとしてしまいました。
何かを考える際に腕を組むのは彼の癖でしたが、
うつむくのはあまり見たことがないなあ、とのんきなことを彼女は思います。

「何か、変わったことはあったか?」

「うーん、ボク、臭いかなあ? 自分のにおいは自分じゃ気付けなくってね」

「……そういえば、全然臭くないな」

「あ、そうなの? 良かった、それはちょっと救いだな。
 ベトベトンはけっこうにおってたから、心配だったんだよ。
 これでも女の子なワケだし? やっぱり臭いのは恥ずかしいよ、ごめんこうむりたいね」

なんといっても、君の前であるわけだし。
そんなこそばゆい言葉は呑みこんで。
オーダイルは呆れながら次の言葉を紡ぎます。

「ていうかさっきからお前、すっごくのんきだな……。
 どっちがのんきなやつだって話だよ。
 どうせあれだろ? ベトベトンに襲われたのだって、のんびり惰眠をむさぼってるからだろ?」

「むぐぐ、耳に痛いお言葉」

「しかも身体がヘドロになっちゃったというのに、妙に飄々としてやがる。
 挙句の果てには、気にするものがよりにもよってにおいときたもんだ。
 まったく、心配する気も失せるだろうが」

「あは。心配してくれてありがとう。
 でも腫れ物を扱うように接されるのはごめんだね。ヘドロだけど」

「とにかくさ、なんとかしなきゃいけないだろ?」

「なんとか?」

「お前を元通りにする。シャワーズとベトベトンに、分ける」

彼は彼女を見つめて、そう言いました。
いつだってこいつはそうだ。何かがあっても、大抵は隠す。
それが強がりだってことくらい、こちとらわかってるんだよ。
本当は不安だろう。怖いだろう。精一杯虚勢を張って、ごまかしているんだろう。
君には迷惑をかけたくないんだ、とでも気取るつもりか?
いいじゃねーか。迷惑ぐらいかぶってやるよ。
その分おれだってお前に迷惑かけてやんよ。それでいいだろ。
本当に一番辛いのは、突然わけがわからないことに巻き込まれた、お前なんだから。

彼女は彼に見つめられて、そっと息を吐きました。
まーたお節介なことを考えてるんだろうなあ。
まったくもう、昔っからほーんと、お人好しなんだから。やんなっちゃう。
そりゃあ、心配してもらって嬉しいよ? 構ってちゃんみたいでちょっとみっともないけどね。
これだけ真剣にボクのこと考えてくれるんだもん、嬉しくならないわけないじゃないか。
でもさ、でもね。
その”心配”は、何に起因する感情?
その”心配”の対象は、君にとっての、何?
ちくりと痛んだのは、彼女の胸の、なんなのでしょうか。

「……そんなことできるのかな」

「おれができなくとも、誰かにさせてみせるさ」

「なんだよそれ、無責任なやつ」

「世界は広いんだ。絶対どこかにそんな芸当ができるやつがいるだろう」

「いやいや世界は案外狭いんだよ? 君とボクが出逢えるくらいに」

「それなら話はもっと早い。狭い世界ならそいつを探すのも楽ちんじゃないか」

「もう、なんでそんなにポジティブなのさ」

「ネガティブよりかはよっぽどましだろ?」

「おれを頼れと言わんばかりのやつがネガティブだったら責任問題に発展するね」

「見つかるまで、ずっと一緒に探してやるよ」

「……へえ。ずっと?」

「ああ」

「一緒に?」

「一緒に」

「男に二言はないね?」

「もちろん」

「ふうん」

ヘドロのからだをぐにょりと伸ばして、オーダイルを覗き込みます。
品定めをするように目前まで接近しても、彼はこちらを見据えたままでした。
ヘドロの彼女に触れたら大変だというのに、少しも避ける素振りを見せません。
触れても別に、即なんとかなるわけじゃあありませんし、
そもそも自分が言い出したことなのですから、それに対する覚悟を見せるのは当然のことに思われたからです。

「……ふうん」

彼女はもう一度呟いて、身体を元に戻します。
これで避けられでもしたら、どうしていたことでしょう。
彼が避けないだろうという確信があったのですが、それでも不安は不安でした。
けれども、やはり彼は避けませんでした。
触れば毒に侵される、そんな自分が触れそうになっても、全然気にしませんでした。
やはり彼は、他の誰とも違う、たった一人の決定的な、彼であって……。

「な、行こうぜ」

「そだね、うん。
 …………ありがとうね」

「……お前さあ」

「ん? なあに?」

「バレバレだって。
 本当は、不安なんだろう?」

「あは、べっつにー? なんでボクが不安がらなきゃならないのさ」

「嘘つけ。お前、わかりやすすぎんだよ。
 最初っからずーっと、不安を押し隠したような顔してさ、
 自分の顔見てみたか? すごく泣きそうな顔してるぞ? 超涙目なんだぞ?
 まったく、どこが不安じゃないって?
 そんな顔されたら、」


放っておけるわけ、ないじゃねえか。









放っておけない? 放っておけない。
放っておけない、ねえ……。

ねえ、ダイ。




Re: いない ( No.11 )
日時: 2010/11/11 18:58
名前: ホシナギ

「なんで? なんで放っておけないの?
 ボクが弱いから? ボクが危なっかしいから?
 ボクが大事だから? ボクが世話ばっかりかけるから?
 ボクを世話する自分に陶酔したいから?
 ボクが一人じゃなんにもできないような子どもみたいだから?
 ねえ、なんで、どうしてよ。
 ダイ。ボクはダイにとって一体なんなの? なんだっていうの?
 面倒みてやんなきゃならない、妹なの?
 ちょっと手のかかる、友達なの?
 わかんない、わかんないよ、ダイ。教えて、ダイ。
 ああ、ダイ。やっぱり言わないで。
 もしもボクがダイにとって妹なんだったら、家族なんだったら、
 ボクはそれに耐えられない、絶対に耐えられない。
 ねえ、ダイ。なんでダイは気付いてくれないのさ。
 ボクのことはなんでもお見通しのくせに、
 ほんのちょっとの機微ですら気付くくせに、
 今日だってうっかり寝ちゃってたことすら知ってたくせに、
 ついてまわってるんじゃないかってほど、ボクの気まぐれな行く先々で遭遇するくせに、
 ボクが精一杯隠してた、不安でいっぱいだったことでさえ、
 こんなあっけなく見抜いちゃったくせに、
 どうしてこんな簡単なことには気付いてくれないんだよ。
 なんでボクが不安だったと思うの? 何がボクは怖かったって思うの?
 なあ、言ってみろよ。本当は知ってるんだろ? 気付いてるけど黙ってるんだろ?
 わけのわからないことに巻き込まれて、っていうのはなしだぞ?
 そんな無難な答えなんかでボクはごまかされてやらないんだから。
 いまどき鈍感なんて流行ってないよ。朴念仁なんて時代遅れだよ。
 ダイ、ねえダイ。答えはたったひとつに決まってるじゃないか。

 ボクはね、君に嫌われないか、たったそれだけが心配だったのさ!

 ああ、ダイ。こんなわけのわからないことになっちゃって、
 一番不安だったのはそれだよ。心配だったのは、たったそれだけだよ。
 ダイ、こんな触れもしない、どろどろのヘドロの身体になっちゃってね、
 ボクはダイに嫌われないか、怖くて仕方がなかったんだよ!
 避けられないか、すごく恐ろしかったんだよ!
 ダイならきっと大丈夫だって、思ってた。信じてた。
 違うね、思いたかったんだ。信じていたかったんだ。
 ダイはきっとこんなことくらいでボクを嫌ったりしない、
 むしろ、心配してくれるに違いない。それこそ、自分の妹のように!
 はたして、予想は当たったよ、ダイ。良いことも悪いことも、ぜーんぶ。
 ダイ。君はボクを嫌わなかった。避けなかった。
 あまつさえ、なりふり構わず掴みかかろうともしてくれたね。
 ……すごく、すっごく嬉しかった。やっぱり、ダイはダイだった。
 でもね、ダイ。ボクはわからないよ。どうしてダイがそんなにもボクを気にかけてくれるのか。
 誰にだってそうかもしれない。ダイは優しいから。お人好しだから。
 ボクにだけそうかもしれない。だとすれば、それはなぜ?
 ”肉親のように”ボクに善くしてくれるのはなんで?
 ダイ。もう一度聞かせて。ダイにとってボクはなんなの?
 ボクはね、ダイ。ボクは……。

 君のことが、好き、だよ。

 あは、あはは、ばかみたいだって笑うかな? でも仕方がないんだ。
 ダイ。ボクは君のことが好き。ずっとまえから好きだった。
 最初は肉親に向ける家族愛だったのかもしれない。
 でもそれはダイが払拭してくれたね。ボクのダイに対する感情は友愛へと変わった。
 そして、それはそのうちに、愛情になったんだ。
 いつだかは知らない。気が付いたらそうだった。
 気付かされたきっかけはあるけれども、その時には既に君のことが好きだったんだよ。
 世界に生きる、他者として。生物における、雄性として。
 ダイ、ボクは一人の男である君が大好きなんだよ。ずっとずっと、好きだったんだ!
 いつだってどこだって変わらない、広くて狭い世界の中の、たった一人の君が好き。
 だから、ボクは嫌だよ。ダイの妹は嫌だ! ダイの肉親は嫌だ!
 ダイ、ボクは君の家族でいたくない。ボクは君の家族になりたいんだ。
 だから、ねえ、ダイ。ボクは君にとって、どんな存在だったの?
 ねえ、ダイ。

 ダイは、ボクのこと、どう思ってるの……?

 ああ、ああああ、あはは、あは。
 ごめん、ごめんね、やっぱり嘘かもしれない。
 ボク、嘘ついてた! あはは。ごめんね。
 ずっとずっと好きだった、って言ったけど、ごめん、あれは、嘘だったんだ。
 本当はね、自分でも、よくわからなかったんだよ。
 ダイのことは好きだった。でも、それが恋愛感情なのか、よくわからなかったんだ……!
 ダイの妹でいたくないっていうのは、本当だよ。
 でも、でもね、ダイ。ボクは、ダイと対等な関係でいたかったんだよ。
 一緒にいて、適当におしゃべりしたり笑ったりあっちへ行ったりこっちへ行ったりケンカしたりして、
 どちらかが一方的にもう片方に依存したりしない、そんな、対等な関係でいたかったんだ。
 よく考えてみて。それって、別に、友達でも構わないんじゃないかい?
 ただおしゃべりしたり笑ったりあっちへ行ったりこっちへ行ったりケンカしたりするだけなら、
 別に友達でもいいんじゃないのかな?
 ボクはね、気付いちゃったんだよ、そういうことに。
 だから、自信がなかったんだ。
 ダイのことは好きだ。これは確かである。
 でも、この気持ちがはたして本当に恋愛感情であるのか。
 ただの友情なのではないだろうか。
 はたまた、ただ単にダイを、ボクを守ってくれる都合のいい存在としてみなしていて、
 その便利だと思うのを、好きだと勘違いしているだけなのか!
 ……わかんなかったんだよ。

 だけどね、ダイ。今はもう、わかってるから。
 ボクのこの気持ちは、本物だって、もうわかったんだ!
 不思議とね、ダイ。それはこの身体になってからなんだよねえ、皮肉なことにも。
 ダイに嫌われないか、不安で不安で、そうしたら、自分がダイのことを好きだって、気付いたの。
 なんだかね、このとろけた身体になったら、
 無駄なプライドとか、くだらない考えだとか、
 全部そういうものも一緒にとけていってしまったみたいなんだ。
 なんだか心が熱く湧きあがって、止まらないんだよ!
 ねえ、ダイ。辛くないかって聞いてくれたよね。
 なんだかあの答えをはぐらかしてしまったような気がしていたから、今答えるよ。
 すごく、すごく気分がいいんだ!
 今ならなんだってできる気がする。身体の底から気持ちが昇ってくる!
 自分の気持ちに素直になれる。辛くなんかないんだよ!
 ああダイ、好きだ。大好きだよ。
 この気持ちに気付けたのも、このヘドロの身体のおかげだよ。
 それにね、いいこともあったんだ。
 ダイ、こうやってね、背筋を伸ばして、前を見るの。
 そうするとさ、ほら。

 正面を向いたダイと、目が合うんだよ。
 今までずっと大きくて高く高くそびえていたダイの顔が、こんなにも近くにあるんだ!

 あは、ダイ。今までダイはずうっとボクのために見下ろしていてくれたんだもんねえ。
 ダイ、ボクはまだまだ君のことを知らないみたいだ。
 考え事をする時に少し下を見る、なんて、そんな些細なことも知らなかったんだよ。
 ねえ、ダイ。ボクはもっともっとダイのことが知りたいよ。
 ダイ。ボクのことも、もっともっと知ってほしいな。
 ダイには必要ないかもしれないけどね、もうとっくのとうに知ってるかもしれないけどね、
 それでもね、ダイ。ボクは好きな人に、ボクのことをもっともっと詳しくなってもらいたいんだよ。
 ダイ、ダイ、ダイ!
 ねえダイ、ずっと一緒にいてくれるの?
 いてくれるんだよね、そう言ってくれたもんね!
 健やかなるときも病めるときも喜びのときも悲しみのときも富めるときも貧しいときも、
 ずっとずっと、一緒にいてくれるよね!
 ダイ、好きだよ、大好きだよ、
 ボクは、





 君が、好きだああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!





 」













彼女は深く彼を抱きしめて、それから優しくキスをして。



Re: いない ( No.12 )
日時: 2010/11/11 18:58
名前: ホシナギ



そっと背びれを撫ぜました。
ああ、彼のことを抱きしめられる日がくるなんて、彼女は予想だにしませんでした。
以前の彼女では、彼の背まで手を伸ばす事などできなかったでしょう。
けれども、この身体なら、それができるのです。

「――――!!」

彼女が触れた肌が痛みました。毒が侵食をはじめます。
声をあげようとするも、口は彼女の唇によってふさがれていて、声ならぬ叫びが漏れるのみです。
彼女を見遣ります。律儀に目を瞑っている顔を見ます。
その顔は、するはずもないのに、どこか上気しているように見えました。

「えへへ、……あ、目開けてたでしょ。
 ずるいなあ、もう……。恥ずかしいじゃないか。
 そんなずるいダイには……、……もう一回」

一瞬口を離し、再度口付け。
そのまま彼女は舌で彼の唇を探って、そっと優しくこじ開けると、彼の口内をなぞりはじめます。
彼女が口の中に這入って、そのひんやりとした感触に、少し身震いしました。
それから彼女が口をまさぐって、そして、彼女の顔がどろりと変形しました。
舌はそのまま彼女の顔を引き連れて、より奥へ、奥へ、喉まで到達します。
ヘドロでできた彼女が、顔から体内に雪崩れ込みます。

「ダイ、大好きだよ、ダイ。
 あは、なんかこう言っちゃうと、しょうもないだじゃれみたいでいけないね。
 なんかうまい言葉はないものかな?
 愛してる、なんて陳腐な言葉はごめんだな。いくらなんでも芸がなさすぎる。
 ……やっぱり、大好き。それが一番いいよ。
 ダイ、大好き」

もともとは彼女の首筋であったあたりに、また新しく彼女の顔が形成されました。
その彼女が、彼に語りかけます。
背中に回すべきものは、もう腕だけじゃ足りません。
この気持ちを伝えるには、二本の腕だけでは余りにも無力です。
もっともっとずっと深く、彼をぎゅっと抱きしめたいのです。
体内へ分け入ってくるヘドロの塊はじりじりと熱く――いや、熱いのはおれの方か?――、
まるで口が喉が焼かれるようでありました。

「ああっ、これでも、……ずっとずっとダイに近づけたこの身体でも、っ、まだ足りないなんて……!
 まったく、……もうっ、本当に君には恐れ入るよ。
 もう少しねぇっ、小さい方が、可愛げがあって、い、いいと思うんだ・……。
 ボクのこともさっ……、考えて欲しいなあ。けっこうね、苦しいんだから。
 この、小さな身体で、……君の背に手を回すの。まあ、前よりかは幾分かましだけれどもね。
 図体ばっかり、で、でかくなっちゃってさあ……。
 そうはいっても、……そんな、大きな君も、嫌いじゃない、よ……っ?」

異物を排出せんと、彼は自然にえづきましたが、彼女の猛攻の前には無意味でした。
腰からヘドロがまた伸びて、彼の背中に回されます。
ああ、これでいい。彼をさらに強く抱きしめます。
この気持ちを、余す所なく伝えたいのです。共有したいのです。
苦しい、気持ち悪い、痛い。彼はなんだか涙が込み上げてきます。
ぐずぐずと崩れた彼女の顔が、自身の顔にかかりました。
ヘドロはべしゃりとそのまま広がって、顔を覆い――おい、息がァ……――ます。

「ダイ……! ダイなら、大丈夫だよねっ。絶対に、平気、だよね、っ。
 ダイは、……そんじょそこらの十把一絡げとは違う、世界で一人きりの、ダイだもんね。
 ボクの目に入らない、どうでもいいモブなんかとは違う、もんねっ!
 あの日、初めてダイに会ったあの日から、ダイは他のポケモンと全然違ったんだから。
 兄さんがみんないなくなっちゃって、どうしようもなかったボクの目に、
 唯一映ったポケモンなんだよ? 他のやつらなんか、まったく見えなかったんだ。
 ダイは違う、絶対他とは違う。だから、ダイなら大丈夫、……だよね?」

自然と言葉が流れていきます。身体のように、とろけた心が言葉となって、流れていきます。
彼を全身で受け入れて、包み込んで、ああ、なんて幸せなのでしょう。
思考は鈍るようでいて、決して回転数が落ちることはありません。
徐々に思考が止まっていきます。考える余裕がなくなっていくのです。
ヘドロは鼻腔からも侵入してきました。痛みを伴って、這入ってきます。
体内を侵す痛みに忘れそうに――っぅ……――なりますが、全身がびりびりと痛んでいました。
彼に、毒が染み渡っていきます。彼女が融け込もうとしています。

「ダイは、その他大勢になんかならないよ。
 真っ暗で真っ黒な世界の、溢れる那由他の色の粒になんかならないよ。
 だって、ダイはダイなんだもん。オンリーワンの、ダイなんだもん。
 ダイは絶対にあの足場に辿り着く。絶対。絶対!
 そこではね、ダイ、ずっとずっと、二人きりなんだぞ。
 ずっとずっと、一緒にいられるんだ。
 ダイ、そこで思う存分、いちゃいちゃしよーぜ?
 周りなんてどうせ有象無象の雑多なんだ。
 思い切り見せつけてやっても、だーれも見もしないよ。見なんかできっこないよ」

ああ、口から鼻から目から爪の隙間から傷口から総排出口から、
彼女が彼を押しつぶします。塗りつぶします。苛みます。
彼の全身を余すところなく隅々まで、抱きしめたいのです。愛したいのです。
この手は小さく非力ですが、小さな心は誰よりも強く彼を愛しているのですから。
こうやって強く強く抱きしめていれば、二人はやがてすぐに一つになって、
それから先はずっと一緒にいれるのです。





「……………………」


痛みに涙を流そうとも、流すべき目はもうなく、
痛みに声を上げようとも、上げるべき喉はもうなく、
痛みに身を捩ろうとも、捩るべき手足はもうなく、
そもそも痛みを感じるべき脳すら彼の手には既になく、
もはや全ては彼女の腕の中であることに
―――――は、気づいたのでした。





ごとり、と彼の尻尾が根元から落ちました。
この身体をもってしても、大きな彼の身体をすっぽりと包みこむことはできなかったのです。
彼女にとって、いつだって彼は堂々とそそり立つ、大きな大きなものでした。
いくらこの身体とはいえ、そんな彼を覆いつくすことなど、できるわけないじゃありませんか。



抱きしめそこねた、最後の彼。
彼女はそっと腕を伸ばし、尻尾を掴んで、ぎゅっ、と抱きつきます。










ダイ。










君を残らず隈なく全部。


「まるごと愛してあげようね」




Re: いない ( No.13 )
日時: 2010/11/11 19:00
名前: ホシナギ


黒々とうねる暗黒が、世界を満たしていました。


重く広がる黒は、ただの黒ではありません。
それらは全て、元ポケモンの姿なのです。
たくさんの、数え切れないほどのポケモンが集まっていて、
遠目から見ると黒く見える、ただそれだけなのです。


荒れ果てた足場が、どろどろうずまきの中にぽっかりと浮かんでいました。


どこを見ても果てしなく広がる闇の中に、足場はありました。
赤茶けた岩のような足場は、不安定なようでいて、どっしりと構えています。
ただし、上を見ても下を見ても周囲を見回しても見えるものは、無数の色の黒一色です。


シャワーズはその中央に佇み、今か今かと彼を待っていました。


ふと気が付いてみるとまたこの空間に戻っていた彼女は、
むしろ好都合とばかりに、彼を待ち望んでいます。
今更ながら、なんて恥ずかしいことを言ってしまったものだとは思いますが、
もうやってしまったことなのですから、後悔する意味がありません。
それに、あれは彼女の本当の気持ちだったのでしょう。
今まで押し隠してきた、溜め込まれていた、本当の気持ち。
それらを全て吐き出して、彼女は晴れ晴れとしていました。

彼女はぐぐーっと伸びをして、ちょこんと腰を降ろしました。
不思議とこの空間では、彼女はヘドロの身体ではなく、従来のシャワーズの姿をしていました。
ですから、腰を降ろす、というようなことができるのです。
いつも彼を待っているときのように、
いつもの彼と別れてから残った一日のように、
時間がゆっくりと流れているような気持ちになります。

「もうダイったら、なにやってるんだよ。こんなに人を待たせてさあ。
 のこのこと来てくれちゃったら、どうしようか?」

そっとひとりごちます。
おいおいそりゃねえよ、と苦笑する彼の顔を想像して、
彼女は一人でくすりと笑いました。


彼女は彼を探します。
彼の大きな青い身体を、彼の大きな優しい手のひらを、彼の大きな顔がにこにこと笑う様を。
彼女は彼を探します。
上を見ます。右を見ます。左を見ます。下を見ます。
彼は、そこにいました。



彼女が彼を発見したのは、
真下に広がる深淵を背景とした、断崖絶壁の壁面でした。



「ダイ!!」

彼女は下を覗き込んで、叫びます。
彼は、彼女がいるところから幾分か下のほうに、手をかけてぶら下がっていました。
彼女を見て驚いた様子で、少しぐらつきました。

「何してるんだよ! 離しちゃダメだ!」

彼は崖を掴んで、上を見据えています。呼吸も荒く、辛そうです。
ただでさえ、陸上では巨体を支えるのが大変だ、と言っていた気もします。
壁面に掴まっていることは、どれだけ大変なのでしょうか。

「大丈夫!? もうすぐだから!」

彼女は叫びます。まだ彼女の手の届く範囲にはいない彼へ向かって、ただ叫びます。
それしかできない無力な自分が、とてもとても悔しくてたまりません。

「――――――!」

その時、彼がなにか喋りました。
しかし、彼女の耳に彼の声は届きません。

「なに? 聞こえないよ!」

「――――!! ――!!」

今度は怒鳴ったかのように見えました。
それでも、彼の声は彼女には聞こえてきません。
彼女の声は彼に聞こえているはずでしょうに。

「わかんない! 聞こえないんだ!
 とにかく、そこは危ないから、上がってきて!」

彼は、口を動かしながら、ゆっくりと上ります。
取っ掛かりを見つけて、その安定性を確かめてから、体重を掛けます。
幸いにして、この足場はごつごつと荒れているため、突起には事欠きませんでした。
しかし、どんどん近づいてくるというのに、やはり彼の声は聞こえません。

「ダイ! がんばれ! ダイ!」

彼女には、彼を応援するしかできませんでした。
それでも、何もしないではいられなかったのです。
彼が一歩上がるたびに大きく喜び、ふらつくたびに汗を垂らして慌てます。
彼女の声は彼に届くらしく、時々声に反応して表情が変わりました。

「ダイ! あとちょっと……! ほら、捕まって!!」

彼がもう目前に迫って、彼女はついに自分の右腕を差し出します。
少しでも、彼の力になりたかったのです。彼を、助けたかったのです。
彼は左手を持ち上げ、彼女の手へと伸ばします。


そして、寸前で、その動きが止まりました。


「ダイ!? 何してるんだよ! 早く上がってこいよ! 危ないん――」


そこで、彼女ははっきりと見ました。彼の口が動くのを。
声は聞こえませんでした。届きませんでした。
それでも――










「Soushitara……、――omaeha mata ore wo korosu noka……?」



それでも、何を言っているのか、わかりました。











彼はじっと、彼女を見つめます。

鳶色の瞳で、彼女を見つめます。

心の奥底まで見透かすように、見つめます。

彼女は、身じろぎすらできません。

口から漏れるのは、言葉になり損ねた音だけ。

「……そんな、そんな、つもりじゃ」

途中までは形をなした言葉も、彼の瞳に射抜かれて、落ちていきます。

彼から目を逸らしたいのに、背けることができません。

がっしりと強固に掴まれて、何もすることができません。







そのまま、長い長い時間が――あるいは、たった一瞬の時間が――流れました。

「と、とにかく、まずは、上がらないと、ね、ほら!」

彼女はもう一度、彼へと右腕を突き出します。

差し出された右腕を一瞥して、彼は悲しそうな顔で微笑みました。

そして、彼の左手が伸びて――、

























右腕が、にたりと笑いました。

















「え?」




右腕はぐにゃりと伸び、意地の悪い笑顔をして、こちらを見ました。




「え?」




右腕はぐにゃりと伸び、意地の悪い笑顔をして、彼を見ました。




「え?」




右腕が、彼の右手へと伸びました。




「え?」




右腕が、彼の右手に触れました。




「え?」




彼が、顔を強くしかめて、大きく口を開けました。




「え?」




紫色の右腕が、口元の大きく歪んだ、意地の悪い笑顔を浮かべていました。




「え?」




支えるものを失った、彼の身体が落ちていきます。




「え?」




支えるものを失った、彼の身体が落ちていきます。




支えるものを失った、彼の身体が落ちていきます。




支えるものを失った、彼の身体が落ちていきます?






















「嘘だああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアア!!!!
 うわああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアア!!!!」

















絶叫の向こう側に聞こえた最後の彼の言葉は、

もしかしたら、彼女の妄想だったのでしょうか?


Re: いない ( No.14 )
日時: 2010/11/11 19:00
名前: ホシナギ

































「ヴィオラ」

























「こんなことしなくったって、おれも、お前が好きだったのに」

































Re: いない ( No.15 )
日時: 2010/11/11 19:01
名前: ホシナギ


渓流は夕日にきらめいて、橙色に染まっていました。


森の中を流れる川は、夕焼け空を映しながら走っていきます。
進んで、躓き、落ちて、開いて。
跳んで、戻って、歪んで、弾けて。
夕焼けの水はまるで甘い甘い蜜のように、緩やかに流れていきます。


木漏れ日は夕日にきらめいて、ほの暗く黄昏に色づいていました。


川を取り巻く森は、がさごそと音を鳴らしています。
夕焼けを浴びて大きな影を作り、まるでまどろんでいるよう。
水面をかげらす影は、川の水とともに揺らいでいます。
滝に連なる川を包む森は、黄金色の光を受けてしめやかに佇んでいるのです。


彼女は、きらめく夕日を受けて、そこにいました。


夕暮れの森の中。
夕暮れの滝の下。
シャワーズは、待っていました。

否、もはやそれは、シャワーズではないのかもしれません。

それは、ヘドロで形作られていました。
下半身はどろどろと崩れ、地面にうずたかく積もっています。
それが動いた跡が、なめくじが這ったような跡のように、至るところに残されています。
辺りには悪臭が漂い、生物を寄せ付けません。

それは、待っているのです。
ただただひとり、待っているのです。










「――――」




後ろから声が聞こえました。


優しく彼女の名前を呼ぶ声が、
幾度となく鼓膜を震わせた声が、
全身余すところなく隅々まで響きわたる声が、
心に沁みこんで染み付いて離れないあのバリトンが、


ずっとずっと待ち侘びた彼の声が、確かに聞こえたのです!!














ぱっと笑顔を迸らせて、彼女は振り返りました。






黄昏に染まるせせらぎ。橙に色づいた木漏れ日。





そこには、待ち焦がれた想い人が、








































                 いない   了
Re: いない ( No.16 )
日時: 2010/11/11 19:04
名前: ホシナギ

以上、いない Episode "Nowhere" はおしまいです。
最後までありがとうございました。


以降、EPISODE "NOWHERE"をお送りする、予定、です。
よろしければ、今しばらくお付き合いください。
Re: いない ( No.17 )
日時: 2010/11/11 21:29
名前: ロンギヌス

深い。でも分かる。
怖い。でも優しい。
辛い。でも嬉しい。


………………


言葉では表現不可能ななにかが伝わり、とても感動しました。

相変わらずの文章力、心より称賛します。
ヴィオラの大きすぎた愛、微かな強欲さ。
表現も設定も世界観も非常に素晴らしいです。続きに期待しております。














……と、堅っ苦しい感想になってしまいましたw


でも全て本当です。名作ありがとう!
Re: いない ( No.18 )
日時: 2010/11/13 17:48
名前: 名無しのゴンベエ

読み終わった瞬間、全身に鳥肌が立ちました
愛情、恐怖、哀切、その全てを圧倒的な迫力で書ききれる貴方にただただ感服するばかりです…
心底この作品を読めて良かったと思えました!

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