「んんっ・・・あ、あれ・・」
僕は不意に目が覚めた。
確か、黒狼の胃袋の中にいたはず・・
それなのに目をあけると自宅の白い天井が視界に入った。
「あはは・・・ゆ、夢か・・・」
まだ、生きていられる喜びと妙に現実感を持った正夢のような夢に自然と笑っていた。
しかし、そうあって欲しい心に対して、体はあれは現実だと言い張っている。
「夢なんだ・・あれは・・・うっ!」
そうであって欲しかった。もう二度と黒狼にあんな唾液まみれされて丸呑みにされるなんて御免だった。
唾液まみれにされた事をふと思い出し、衣服のにおいを嗅いだ。
ーー臭いーー
「うぇっ・・おえぇ・・」
獣独特の生臭い臭い。確かにあの黒狼の唾液の臭い。
それも吐き気を催すほどの高濃度の唾液が染み込んでいた
微かにツーンとする刺激臭がする。それは多分黒狼の胃液
そう・・それらは黒狼の丸呑みされた事を確立するのに十分すぎた。
「・・やっぱり・・僕は・・黒狼に喰われた・・・夢なんかじゃなかった・・・おええっ・・」
あの、高粘性の舌の触覚。狭い肉洞・・食道の生々しい感覚。唾液の臭い。ねっとりとした口内。胃袋の中の臭い、蒸し暑さ。そして・・胃液の痛み・・
それら全てが一度に身体に蘇り、悪寒と更なる吐き気が僕を襲った。
「はぁ〜」
溜息を一つ。とりあえず命が助かったと言う事でそれらをどうにか抑え込んだ。こんな服は着ていられない。
まず、服を着替えなければならない。そのあとにでもシャワーでも浴びよう。
「よいしょ・・・・!?痛ッ・・」
いつの間にか寝かされていた床から体を起こした時、背中に鋭い痛みが走った。
まさかと思い、洗面所に直行。鏡で背中を確認した。
服は胃液に触れたことで溶けており、皮膚は赤く、所々爛れていた。
恐らく、何かに触れるだけで痛むだろうが、これは先にシャワーを浴びた方が良さそうだった。
「・・また、薬草・・取りにいかなきゃ・・」
服を慎重に脱ぎながらぼそりと呟いた。
自分でも分かっている。それは、自ら、丸呑みされに黒狼に会いに行く事だと。

 * * *

数日前
少年が黒狼の胃袋で意識を手放した時。
「ふぅ・・・どうしたものかの・・・」
体を横した黒狼は顔だけを持ち上げた。いわゆる伏せ状態である。
「お主は、非常に美味じゃった。それを一度だけと言うものは何とも言えんのじゃな・・これがのぅ・・」
何を考えていたのか、コクリと一人頷くと、胃袋にいる少年を前脚で押し上げる。
黒狼の体内ではグチュ・・ヌチュッと粘っこい水音を立てながら、胃袋から押し上げられていく。
胃袋から噴門を押し広げ、食道へ。
お腹の膨らみは前脚と共に上り、黒狼の喉を登り切り・・
ゴプッ・・グパァッ・・ドチャッ・・
大量の体液、胃液と共に少年を地の上に吐き出した。
「ハッ・・ハッ・・ぶ、無事なようじゃな・・」
ポタポタと黒狼の口の端からはまだ体液が滴っている。
消化はあまり進んでおらず、少年も少しだけではあるが、
服と肌を溶かされるだけで済んだ。
本来であれば、胃袋に流し込まれた獲物は数十分もたたない内に完全に消化され黒狼の糧になってしまうのだ。
少年がここまでで済んだのは黒狼が消化を意識して遅らせていたからであった。
「起きろ。起きるのじゃよ。」
黒狼は少年を揺すりながら声をかけた。しかし、少年は意識を失っており、返事はない。
「・・無理もないかの・・儂の胃袋に収まる事など初めてじゃろうしな・・」
ハクッ・・と少年を優しく咥えた。
トクン・・トクン・・
規則正しく、優しい心拍が口を通して感じる。
気を失ってはいるが、生きている事を確認することができた。余計な心配だったようだ。
(さて・・家に送ってやろうかの・・)
この少年の匂いをたどれば家を見つけるのはたやすい。
少年に負荷をかけないように、優しく、ゆっくり一歩を踏み出した。

 * * *

(ここじゃな・・・)
森を抜けて少し行った所に少年の家を発見した。
辺りには他人の家、それどころか人間の気配も無い。
ホッ・・と安心するのと同時に一つの楽しみが消えた。
(別の人間がおれば、呑み込んでやろうと思ったんじゃがのぅ・・・興ざめじゃの・・・)
小さな溜息を一つ、少年の家に歩み寄る。
窓に鼻先を引っかけ窓を開ける。
鍵は掛かっておらず、簡単に開いた。
(不用心にも程があるぞ・・・全く・・)
その窓から口あたりまでを家に入れ、咥えていた少年を優しく床に降ろした。
「これで主とはお別れじゃの。全く・・惜しいものじゃ・・・主は確かに美味じゃが、儂はのぅ、それだけじゃないんじゃがの・・これが。」
なんとも言えない表情を浮かべ呟くと、窓を閉め、その場を静かに去っていった。

 

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