私が祖国に居た頃、この世界で伝承として伝えられてきた竜が、突然襲撃してきたことがあった。
国も軍隊を向かわせたが、人と竜の力の差などたかが知れている。
先陣を切って向かっていった大隊が、竜の吐いた火炎で一瞬にして焼き尽くされたのを見て、逃げ惑う者、恐れ動けずに立ちすくむ者、竜は少し拍子抜けしたような表情のまま、再び口元に火炎が姿を見せ始めた時、俺だけが剣を向けて、言い放った。

「竜よ!この声届くなら、今しばし私の話を聞いてはくれぬか!」

いざ火炎が襲いかかろうとする直前、竜は攻撃を止めて、此方を見据え、

『我に剣を向け、話とは何用じゃ。』

「私がお前に一騎打ちを申し込む!私が勝てば、この国を二度と襲わぬと誓ってもらおう!」

『して、主が負けた時は?』

「我が身、それを対価に。」

『なんとも威勢のいいニンゲンじゃな。……面白い。その条件、飲んでやろう。』

不適な笑みを浮かべ、俺と竜と向かい合う。
逃げ惑う兵士は立ち止まり、立ちすくむ兵士は離れ始め、私は覚悟を決めた。
竜に向け、駆け出すと同時に火炎が飛んでくる。
側転し回避した所に、足首に尻尾が巻きつく。
そのまま持ち上げられ、顔の高さにまで行くと、竜は勝ち誇ったように言った。

『我の勝ち、じゃな。所詮はニンゲンといったところではあるが、立ち向かった覚悟は認めてやろう。』

「……っ、くそっ!」

『さて、お主の身が対価じゃったな。……少し寝てて貰おう。』

そう言うと、竜は人語ではない何かを呟いた時、俺の意識は闇に落ちていった。












…次に目覚めたときは、高級な羽毛布団に包まれ、暖かな感覚の中だった。

『起きたか、若きニンゲンよ。』

そう言われ、飛び起きる。祖国を襲った竜が、隣で俺のことを視ていた。
何故生きているのか。 どうして。
疑問ばかり浮かぶ俺に、竜は心を見透かしたような言葉を紡いだ。

『ニンゲンにしておくにしては惜しいと思ってな、皆も同意した上で……ほれ、今の姿を見てみぃ。』

その話からは、嫌な予感しかしなかった。
顔を動かし、体を見てみる。

紅く輝く、体を覆う鱗。
体から伸びた腕の先、手に生えているダガーのように鋭く、尖った五本の爪。
自分の意識で動かせる大きな両翼に、長い尾。

………

『驚いて言葉も出ぬか。ならば、伝えてやろう。』

やめろ。

『主はもう、人間ではない。』

やめろ! やめろ!

『主の戦友を焼き殺した、』

いやだ、知りたくない!

『我と同じ、竜になったんじゃよ。』








――竜になってから、数日が過ぎた。
仲間が見たこともない稀少な木の実や、高山にしか生息しない生物の生肉を持ってきてくれてはいたが、食べる気にはなれなかったものの、空腹は抑えきれない。が、今隣に居る竜への怒りでなんとか気を紛らわしている。

『そろそろ何か食わねば、死んでしまうぞ?』

うるさい。

『折角同族になったと云うのに、死なれてしまうのは困るからの。』

勝手に困ってろ。

『仕方あるまい、こういうのは苦手なんじゃが……。』

うつ伏せでふてくされている俺の背を、その肉厚の舌で舐め上げる。
体が震え、嫌悪感も現れたがくすぐったいような感じもしてきた。

『力を抜け、と言っても訊かぬじゃろうな。』

何をする、と言う前に首筋を軽く、何度も甘噛みしてくる。
牙が食い込む度、尻尾が小さく反応するのが自分でも分かり、全身が痺れるような感覚が体に残り始める。
気付けば呼吸が普段とは違う状態で、心拍も心なしか早まってきている。
無言のまま行為を続けている俺を竜にした竜のせいか、冷静な思考ができなくなってきている。

行為を始めて、どれくらい経った後だろうか。竜は、優しい口調で囁いた。

『……ほれ、口を開けい。』

そう言われるがまま、俺は口を開ける。
奴の唾液とは別に、舌の上に乗せられる、とても美味しい何か。
それに我慢できず、ゆっくりと咀嚼を始める。

美味しい。
凄く美味しい。

涙が出るほどだった。

『あまり焦らず食べるといい。誰も取りはしないからの。』

……うん。

嚥下すると、今か今かと待ち望んでいたように、胃の中で消化活動が始まる。
親鳥が子供に与えるように、少しずつ口の中に美味しい何かを入れてもらい、暫くすると、冷静になり始めてくる。
異形となった今でも、人間の頃の記憶、人格もしっかり残っているのは紛れもない事実。

「自分」は、まだ死んでない。

そう確信し、国へと帰ろうと考える。
背に翼はあるし、この隣に居る竜に聞けば、道はわかるだろう。
今は満腹感から、眠りに就くことにした。










――それから数日後、俺は祖国へ帰るべく、大空を風よりも速く飛んでいた。
この姿を視ても、話せばきっと分かってくれる。
そう思い、地平線に見えた見覚えのある場所に降り立った。

しかし、自分の姿を見た途端、弓矢の嵐と兵士が襲いかかってきた。

「待て!私だ!』

怒号が止む気配はない。
もう一度説得を試みる。

『私だ!クラウスだ!」

聞こえていないのか、束になった弓矢が体に突き刺さる。
足元にも血が流れ始め、不思議な感情が溢れ始める。
なぜ、私に対しては逃げないのか。
あの時、私が犠牲となって国を護ったというのに。

怒り。
例えるなら、そうだろう。あの時、束になって戦えば、どうにかなったかもしれないのに。

剣を振るう兵士を一掴み。
骨が砕けたかもしれないが、関係ない。
苦しんで叫んでる兵士を、まとめて口の中に放り込む。
舌で舐め回し、牙が防具ごと身体を貫く。
美味い。 血のにおいが充満するのが心地良い。
叫び声がする中で、その兵士共を飲み下す。
喉を暴れながら落ちていく感覚。
これもまた快感であり、何より腹の中で暴れるのを感じ、溶かされていく苦痛で叫んでいる声が、何物にも代え難い。
尻尾で薙払い、倒れた兵士共を巻き取り、口の中へ。
口内に灼熱地獄を作り、暑さで弱っていった人間共を、生きながら丸呑みにしていく快感。

長い尾を叩きつけ、家屋を破壊し、ゴミのように逃げる人間を踏み潰し、焼き払い、獲物として遊び尽くす。
恋人を飲み下す光景をワザと見せ、残った奴は握り潰す。


怒りは収まりを知らず、落ち着いたのは国を破壊しつくした頃。



『随分と派手にやったの。』

背後から聞こえた声に振り向けば、そこには俺を竜にした張本人が。
気付けば、自分のしたことが如何に畜生の所業であるか。

「そんなことは、……』

『人を呑み、殺し、国を滅ぼす。まさしく、人外の所業であろう?』

否定できない。
違う、と一言言えば済む。ただ、自身の紅き鱗が鮮血に塗れ、口内に残る血の香りが心地良い。

『我が主に与えた食物は、人間の生肉じゃよ。人はさぞ美味かったろう?』

ちが、う。
ちがウ。

のぞんだのは、こんな



ただ、まもりたかっ タ。



ダけド イタカッタ。






『ついてくるがよい。』


言われるがまま、ついていく。
その先には、魔法陣の中に浮かぶニンゲンの時の自分が横たわっていた。

『今のお主なら、自分を喰うことすら容易かろう?』
浮かぶ自身を魔法陣から引きずり出す。
なにも考えず、食らいついた。

美味い。
ニンゲンは美味い。

丁寧に舐め、口内で転がし、柔らかな肉を感じ、稀少な生物の肉よりも、ずっと長く、自分を味わい尽くす。
甘くもなく、塩気もなく、ただ「美味い」だけ。


暫くしてから、舌で滑らすように喉へと落とし、

――ゴクン。

大きな嚥下音と共に、自分を一呑みにした。

『これで、お主を縛る物はなくなった。……これからは好きにせい。』


『……うん。』

俺はニンゲンではない。
名は捨てた。
今の俺は、紅き災厄と呼ばれているらしい。
災厄と呼ばれる以上、災厄を起こす。

ただ、こんな俺にも一つの出会いがあった。
それはいずれ話すだろう。
今は、目の前のニンゲンを殺し、食い、弄ぶだけだ。

 

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